No25365−47 No25365−48
青木城 梅垣城
(あおきじょう) (めいがきじょう)

青木城 西城 虎口 梅垣城 南面の土塁内

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町滝字青木 所在地 : 甲賀町滝字中出
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、虎口、 遺  構 : 土塁、堀切、櫓台、帯郭、虎口、
訪城日 : 平成25年3月16日 訪城日 : 平成25年3月16日

歴   史

・・・・青木城・・・・は、多喜氏によって築かれたと云われるが、詳細は不明である。
多喜氏は、伴四党(大原、上野、伴、多喜)とともに、鎌倉−室町時代に甲賀東部に勢力を持った大伴姓富永一族で、伴家継(多喜彦太郎)が祖とされる。多喜(滝)勘八俊兼は、室町幕府による六角征伐である長享の乱(1487)で六角方として戦功をあげ、甲賀五十三家の一家に数えられる家である。
多喜(滝)家一族の著名な人物として、山岡道阿弥や中村一氏などの大名がいる。
・・・・梅垣城・・・・は、室町時代に多喜勘八俊兼によって築かれたと云われるが、詳細は不明である。 


構造と感想
・・・・青木城・・・・は、甲賀町滝のうち青木集落の南方の丘陵上に立地し、南北に走る県道775号線沿いにある青木池を挟んで東と西に分かれて築かれている。地元では両城とも青木城と呼ばれている。
西城は、南から北にのびる丘陵先端部に、東西30m、南北40mの土塁に囲繞された主郭を置き、南側背後の尾根続きを堀切で遮断した甲賀に一般的な単郭方形の城郭である。南側の土塁内に巾5m程の小段を付帯させ、南側背後からの敵に対し、土塁を楯に攻撃できる構造になっている。虎口は、東面に開口し、虎口を出て20m程で左に折れて、北麓に下っていく。
土塁上を歩くことは出来るが、郭内は竹木が繁茂しており、写真撮影は困難であるが、遺構の残りはよい。
東城は、正覚寺の南側背後の丘陵上にあり、北にのびる丘陵中央を掘り残して区画土塁とし、その両側に広い郭を造成している。西郭は、東面と南面に掘り残しの土塁がめぐり、東西40m、南北90mの規模で、北西隅からは竪堀が落ちている。東郭は、西面と南面、北面に掘り残しの土塁がめぐり、東西20m、南北40mの規模で、北東の寺側が大きく削り取られ、本来の規模は不明である。虎口は、東郭の北西隅に開口し、北麓へと下っている。
南側の丘陵続きは、土塁のみで堀切は設けられておらず、どこまでが城域か不明確である。
訪れた時は、綺麗に東郭の草木等が伐開されており、写真のとおり北への眺望がすばらしかった。
・・・・梅垣城・・・・は、甲賀町滝のうち中出集落の南方の丘陵上に位置している。
城は、北東にのびる丘陵先端部を削り込んで築かれている。四周は分厚く高い土塁で囲繞され、30m四方の郭面を確保している。土塁天端の幅は4m程で、南西角はさらに高い土壇となり、櫓台と見られている。虎口は北東隅の北側に開口する平入り虎口である。虎口外は、2、3段の平坦地が広がるが城域かは不明のようである。丘陵続きの南側は自然の深い鞍部となり、堀切の役割を果たしている。その鞍部と南面土塁の間に一部に土塁を伴う帯郭が付帯している。
地元で笹ゆりを栽培されており、踏み荒らさないよう注意して訪れたい。

道 案 内
・・・・青木城・・・・は、県道4号線を水口から甲賀方面に来るとJR甲賀駅の140m程手前に甲賀駅西交差点がある。その交差点を右折し、道なりに1.1km程走ると右手にため池(青木池)がある。
西城は、池の北岸を山裾まで行くと山に入る道があるので、それを登って行けば城跡に至る。
東城は、ため池(青木池)の95m手前の十字路を東に入ると直ぐに右手に正覚寺があり、寺の背後の丘陵上が城跡である。
・・・・梅垣城・・・・は、県道4号線を水口から甲賀方面に来るとJR甲賀駅の140m程手前に甲賀駅西交差点がある。その交差点を右折し、230m程先のY字路で左方向に入る。道なりに280m程行き左に曲り、東に260m程進み斜め右手に曲る。南東に160m程行くとY字路があり右方向に入り、その160m先でまたY字路があり、また右方向に70m程で行き止まりとなる。その左手が城跡である。
道が細いので大分手前で駐車した方が無難である。

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青木城 西城 北西隅部 梅垣城 虎口内より
青木城 東城 東郭と眺望 梅垣城 南側背後
青木城 東城 区画土塁と西郭