No25524-04 三重生城 (みおじょう)       

北西角の土塁 南西より正法寺を望む

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 安曇川町常盤木
築城年 : 戦国期
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁
訪城日 : 平成22年3月6日

歴   史
『正法寺縁起』によると、三重生城主は、近江源氏佐々木氏の一族である川副筑前守とされ、正法寺は川副秀政の菩提寺で、秀政は天文5年(1536)10月9日に亡くなったと伝えている。
永禄11年(1568)織田信長が上洛の軍を起こすと秀政の子政義は六角氏に属して城に立て籠もったが、翌永禄12年(1569)6月18日に柴田勝家などに攻め滅ぼされたとされる。
正法寺は江戸初期に廃城後の地に建立された。

構造と感想
三重生の集落の西方一帯が、三重生城跡と推定されている。城の規模は、堀跡を含めて1町四方で、正法寺の西・南・北面に土塁の一部が残っている。その長さは65m、高さ3m程の規模で、土塁上は現在では墓所となっているが、立派な土塁である。
なお、正法寺の北50mほどの水田となっているところにも土盛りがあったとする地元の古老の話があるようで、複郭構造であった可能性も高いように思われます。

道 案 内
国道161号高島バイパスの青柳北を西方向に曲がり県道305号線に入る。県道305号線を西進し910m程行くとJR湖西線の高架下を通り抜ける。その250m程先から県道23号線に入り、そのまま道なりに1.3km程走ると十字路交差点に至り、その交差点を左折する。県道298号線に入り260m程先の左手に正法寺があり、城跡である。

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