No25483-5 月所丸 (げっしょまる)       

堀切と土橋 仕切の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 東浅井郡湖北町伊部
築城年 : 元亀3年(1572)
形  式 : 山城(標高365m)
遺  構 : 土塁、堀切、畝堀、竪堀
訪城日 : 平成22年4月3日 東の土塁

歴   史

元亀3年(1572)織田信長の小谷城攻めの際に、浅井氏の救援に来た越前の朝倉義景は、7月晦日に小谷城に着陣し、8月2日には大嶽城から南に馬蹄形に伸びる西側の尾根筋(知善院筋)に布陣して、山崎丸福寿丸および月所丸を築いたとされる。
月所丸は、小谷城の搦手を守るために築かれた砦で、古図にここを通り尾根伝いに越前へ通じる忍道が描かれ、「浅井三代記」の永正15年(1518)条にも「備前守ハ小丸ト大嵩トノ間第一ニ可防トテ・・・」とあり、亮政の時代に砦が構えられていたとも考えられる。


構造と感想
月所丸の東は、三方をコの字形に分厚く巨大な土塁が囲み、東と南には土塁内側に桟敷状の小段が設けられている。その先は、三条の堀切で尾根を断ち切っている。
中間にも三日月状の分厚く巨大な土塁があり、これにも桟敷状の小段が設けられている。東西に区画された郭間の連絡は、北側の犬走りを通じて行われたと思われる。
土塁の小段は、防御と攻撃を両立させる見事な構造である。さらに、北斜面には竪堀と小谷城で唯一の畝堀が設けられ、防備は厳重を極めている。
戦国後期の巧みな縄張りや遺構を楽しめ、城外に続く尾根筋の越前忍道を見事に防御しているのがよく分かる。

道 案 内
県道37号線の長浜IC口交差点を西に330m程行った山階町東交差点を右折し、北に県道510号を道なりに6.5km程行くと国道365号の郡上南交差点に出る。そこを右折し東に380m程行き左手にある小谷城の大きな看板の所で左折する。後は山裾まで行き斜め左手方向の林道へ入って、林道の終点まで登っていく。終点の100m程手前に駐車場がある。
林道終点の右手直ぐが小谷城の番所跡で北端の六坊跡まで1km程に亘り城域が続く。月所丸は六坊跡北側の鞍部から案内板に従い右手の道を200m程北に入った所にある。
鞍部で左に行けば清水谷(根小屋)へ下り、斜め左手の登り坂は大嶽城に通じている。

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