No25365−33 | No25365−34 | ||
大原城 | 木内城 | ||
(おおはらじょう) | (きないじょう) |
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大原城 南虎口 | 木内城 北側の堀と土塁 |
◆ 城郭の概要 | ◆ 城郭の概要 | |
別 名 : | 別 名 : | |
所在地 : 甲賀町田猪野字下垣外 | 所在地 : 甲賀町上野字才作 | |
築城年 : 室町期 | 築城年 : | |
形 式 : 平城 | 形 式 : 平城 | |
遺 構 : 土塁、虎口、堀 | 遺 構 : 土塁、空堀 | |
訪城日 : 平成25年3月30日 | 訪城日 : 平成25年3月16日 |
◆ 歴 史 |
・・・・大原城・・・・は、大原数馬が築いたとされるが、詳細は不明である。 |
◆ 構造と感想 |
・・・・大原城・・・・は、杣川と櫟野川の合流地に位置し、油日谷の喉元にあたり、また、伊賀道(近世の杣街道)に面し、陸上交通や河川水運の重要な地点に築かれている。 構造は、甲賀に一般的な単郭方形の館城で、東西約40m、南北約28mの郭の四囲を土塁と南側を除き堀で囲っている。開口部は、東西南北の四方にあるが、東と北面は後世の破壊とみられ、西面が杣川への排水路で、門の建つ南面が元々からの虎口とされる。虎口の両側の土塁は形状が大きく異なり、東側は丈高で南に張出しを持つ逆L字状をしているのに対し、西側はやや低く、天端巾が6m前後と広くなっている。 城内には、現在でも末裔の方が居住され、江戸時代の忍書とされる『万川集海』をはじめとする古文書を保持されており、歴史の深さを実感できる館城である。 なお、当城の南側には方形壇状地やL字状の薮地が見られ三つの区画が想定でき、植城(水口町植、宇田)と同じ群郭式タイプの城館の可能性も指摘されている。 ・・・・木内城・・・・は、甲賀町上野のうち河原集落北東の平地に立地し、道路が城の南側を削り取っている。現況は竹薮で、道路脇に城址碑が建てられている。 構造は、約40m四方の方形単郭で土塁と堀に囲繞されている。ただし、北東部で土塁と堀が直角ではなくカーブとなっており、完全な方形になっていない。 現状の土塁は南を除く三方に残り、最高高は3mを超えている。堀も土塁と同じ側に箱堀状断面のものが明瞭に残っている。南側は市道で破壊されているが、市道南側が崖になっており、この高低差を城外との遮断に利用したと考えられ、さらに、南東隅で残る土塁が西側へややカーブしており、南面へと土塁が続いていた可能性が高い。そして、残存する土塁には開口部分がないため、城への虎口は南面に設けられていたと考えられる。 4号線を小規模な城ではあるが、土塁には高さや厚みがあり、堀も箱堀形状をよく留めており、そこそこ見応えのある遺構である。 |
◆ 道 案 内 | ||
・・・・大原城・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線に入り、道なりに3.9km程行った大原市場交差点を直進する。その190m程先で右折しJR草津線のガードを潜り、突き当たりで左折する。東に120m程行き川を渡って右折し、道なりに200m程進んだ右手側の林が城跡である。 ・・・・木内城・・・・は、県道4号線の野尻交差点から同県道を道なりに5.1km程行った田堵野西交差点で左折する。県道4号線を道なりに1.1km程行った油日交差点で左折し、県道131号線に入る。その140m程先の左手側に城址碑があり、その奥の竹林内が城跡である。 |
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大原城 東側の土塁と堀 | 木内城 城址碑 | |
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大原城 南面西の巾広土塁 | 木内城 北面の土塁 | |
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大原城 南東より |