No25301−03 木戸山城 (きどやまじょう)       

主郭北側の土塁 北側の武者隠し

城郭の概要                  
別  名 : 城尾山城
所在地 : 志賀町木戸字畑山
築城年 :
形  式 : 山城(標高469.8m)
遺  構 : 土塁、堀切、帯郭、武者隠し、畝状竪堀、
訪城日 : 平成25年5月18日

歴   史
石塁状の栗石と通路
延暦寺隆盛の頃に田中坊定成が木戸庄を分領し、堡塞を築いて住したとされるのが、この城跡とされる。
元亀の兵乱には、六角氏に属した佐野秀方(のち十乗坊栄有と号した)が在城、籠城し、元亀4年(1573)には朝倉方の馬場兵部丞や多胡宗右衛門尉も守備に就いたようであるが、落城して諸氏は山中に隠れたと伝えられる。
         

構造と感想 (西側の帯郭)

これは攻上って来る敵を石塁を楯に、栗石の投石で迎撃しようと発想されたもののようである。
城跡は、比良山中腹に張り出す尾根の付け根に部分に位置し、尾根筋上約150mに亘って広がっているが、明瞭に遺構が残るのは、最高所の主郭部と尾先部の段郭で中間部は明瞭性に欠ける。
主郭部は南を除く三方を土塁に囲繞された小じんまりした主郭(17m×11m)に、南から西側に続く帯郭と東側にも帯郭が付帯している。北側は堀切で遮断され、南側切岸上部の主郭一段下に武者隠しが設けられ横矢を効かした防備を固めている。城内道は北の尾根越え道から東側帯郭に入り、南へ回り込み主郭に入ったようである。なお、主郭部から死角となる眼下を見張るため、尾先に見張台が設けられたと思われる。
ところで、この城跡で目を引く特異な遺構がある。木戸越道から分岐して堀切を通過し荒川方面に下る尾根越え道の西斜面部分90m間で、5、6ケ所もの屈曲が設けられ、また、道の脇には栗石を石塁状に積み上げ、その溝内を通路としている。

道 案 内
湖西道路および志賀バイパスの志賀ICを下りたT字交差点から南方向の取付道路に入る。取付道を道なりに900m程走ると国道161号の志賀駅口交差点に至る。その交差点を右折して国道161号に入り大津方向(南方向)に470m程行った歩道橋のある大津市木戸交差点で右折する。西に200m程行き突き当たりで左折し、その先の南50m程で右折する。西に道なりに500m程行くと志賀バイパスで、下を通り抜けると直ぐにT字路がありそこを右折する。北に170m程行くと短い橋の手前に左手(西方向)に入る林道がある。林道の入口付近のスペースに駐車し、林道(木戸峠へ通じる登山道)を登って行くと大きな砂防ダムを二つ通り過ぎ、その先200m程の右手に分岐して尾根に向かう山道がある。尾根に出た右手が城跡である。
なお、一つ目の砂防ダムを過ぎて右手に目印のテープがあるが、そこから山道に入り尾根に出て尾根筋を登って行っても城跡に到達できる。

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