No25363−20 No25363−21
内貴殿屋敷 北虫生野城
(ないきとのやしき) (きたむしょうのじょう)

内貴殿屋敷 堀跡 北虫生野城 搦め手虎口外より

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町貴生川字東村 所在地 : 水口町虫生野字加久戸、山添
築城年 : 築城年 :
形  式 : 居館 形  式 : 丘城 
遺  構 : 土塁、堀跡 遺  構 : 土塁、井戸、虎口、
訪城日 : 平成26年11月15日 訪城日 : 平成25年3月30日

歴   史
・・・・内貴殿屋敷・・・・は、内貴尾山城の築城者と伝わる内貴伊賀守の館跡とされるが、城歴等の詳細は不明である。
・・・・北虫生野城・・・・の城歴等の詳細は不明である。

構造と感想
・・・・内貴殿屋敷・・・・は、川田山の南、東内貴集落の南外れの「殿屋敷」と呼ばれる一画に所在する。遺構は、東面の土塁と堀跡、西面の北寄りに一部土塁の基底部が残存しており、土塁外縁で約50m四方の方形館が想定できる。現況は東側半分近くが竹薮で、残りの大半は畑地になっている。薮の中には、高さ約6mにおよぶ南北約30mの巨大な土塁が確認できる。また、その外側に堀跡の窪地が明瞭に残る。
屋敷の北東約120mの尾山頂部に内貴尾山城が所在したとされ、詰城に対する居館という関係にあり、内貴氏の居館に相応しい立地と規模とされる。
・・・・北虫生野城・・・・は、北虫生野集落東側の比高約20mの丘陵が北西と南に伸び、その先端部に築かれている。両城の様相は大きく異なっており、別城と見なされている。
集落中央の東側高台に浄福寺があり、その北東隣に北城が、南南東約50mに南城がある。
境内を通り抜け山中へと進むと、直ぐ北側の斜面が途切れ、そこから左手に回り込むと北城の搦め手虎口が左手上方に開いている。回り込む途中は帯郭状で北に向かって雛壇状に低くなり、北端は横堀状となっている。横堀状となる手前から土塁の斜面を登り、土塁上の少し窪んだ通路を通り主郭内に入ると、落とし穴か井戸と考えられる円形の窪地が郭内に待ち構えている。主郭は方形で西面を除く三方を土塁が囲み、郭内に立つとその巨大さに圧倒される。西面の南端に一段下の平坦地へ下りる通路状の落ち込みがあり、南側土塁の西端部が櫓台状で、虎口への睨みを利かせている。東面と南面の土塁上は巾が広く平坦部が確保されており、兵員の戦闘活動を想定したものと思われる。主郭の北西側下段の平坦地は、崖状の地形で周辺と隔絶され、土塁がなくとも防御は十分と思われる。
南城は、北城へ左折れする10m程手前で右折れし、南方向に40m程横移動すると城跡である。左手側の最高所は、ほぼ自然地形のままであり、物見台の機能程度を果たしたと思われる。右手側の尾根上が削平され連郭式に方形区画が三段連旦し、上段は削平が甘く、北側は尾根に同化し、中段との切岸も小さい。中段は井戸があり、平坦である。下段の削平は甘いが、南面に西方向から南方向に、また西方向に折れる人一人がやっと通れる城道が下方へと伸びている。城道の南面を固める東西方向の土塁の東端から南に12、3m土塁が伸び、その南端が少し西に折れているが、この土塁の機能が不明で、築城途中の状態との解釈もある。
北城は見応え充分であるが、南城は甲賀の他では見ない縄張をしている。

道 案 内
・・・・内貴殿屋敷・・・・は、 国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り、右折し橋を渡る。橋を渡った直ぐの水口大橋南詰交差点で右折、野洲川南岸沿いを580m程下った内貴橋南詰交差点で左折する。南西に道なりに1.1km程走り貴生川交差点の一つ手前で左折し、90m程先で左折し120m程先の竹薮が城跡がでる。
・・・・北虫生野城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。南西に1.6km程進むと虫生野中央交差点に至り右折する。市道に入り380m程行ったコンビニのある交差点で右折し、250m程走ると止まりとなり、その付近に駐車する。行き止まりから110m程戻り左折し、60m程東進して右に折れ、直ぐ左に折れ、一番奥の突き当たりが浄福寺である。

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内貴殿屋敷 土塁 北虫生野城 搦め手虎口より城内を見下ろす
内貴殿屋敷 西より
 北虫生野城 東側土塁内側