No25481-16 平塚舘 (ひらつかやかた)       

山門(小谷城の裏門を移築) 西側の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 東浅井郡浅井町平塚
築城年 : 不詳
形  式 : 城郭寺院、居舘
遺  構 : 土塁、堀              庄屋の平野家跡
訪城日 : 平成22年4月25日

歴   史

鎌倉以前の創建とされ、実才庵と云われ天台宗であったが、後に小谷山実宰院と改め曹洞宗に属した。
浅井長政の姉の阿久姫が仏道修行を志し、天文11年(1542)に19才で出家して昌安見久尼と称し、当時無住と化していたこの庵を再興したとされる。また、小谷城が落城する際、この寺に浅井三姉妹が匿われ、大柄であった昌安見久尼が法衣の中に三姉妹を隠し、探索に来た織田方からの難を逃れたとの伝承が残されている。
この寺の住職継承について三姉妹の次女・お初の夫である京極高次が豊臣秀吉奉公衆から指示を受けている事実は、三姉妹との深いつながりを裏付けている。


構造と感想

現在の寺域は、約60m×60mで三方に土塁が廻り館の構えを呈し、浅井氏とかかわりをもつ寺院である。また、羽柴秀吉が長浜城主になった折、当寺に与えた50石の朱印状が残されている。
山門は、小谷城の裏門と云われ、当初の位置は本堂の南側にあり、そこまで土塁が伸びていたと伝わる。現在の本堂は、徳川秀忠に嫁いだお江(浅井長政の三女)が再建したものである。
平塚集落の南端に実宰院が位置し、北西端に鎮守の天神社が祀られている。この寺社に囲まれた一画(東西約120m、南北約80m)は、東・南・西を水路で遮断されており、この南東角には庄屋の平野左近助の末裔・平塚家が位置している。
同氏への浅井久政からの書状から推して、同氏は平塚に居住する在地土豪であったと思われる。
大河ドラマ「江」の舞台となるはずだった寺で、浅井三姉妹が小谷城落城に際しこの寺に匿われた地元の伝承が伊賀に取られ残念でしょうが、大河効果で訪れる人は多くなったようです。


道 案 内
県道37号線の長浜IC口交差点から東に3.6km程行くと国道365号の国道東上坂交差点に出る。その交差点を左折し、国道365号線を北西に4.4km程行った八島交差点を越えた430m程先(斎場の北東角)で左折する。西に240m程行き左折、南に310m程行った右手が実宰院である。

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