No25206−03 芦浦観音寺 (あしうらかんのんじ)       

参道と表門 参道右手の濠

城郭の概要                  
本堂玄関
別  名 :
所在地 : 草津市芦浦町
築城年 : 応永15年(中興
形  式 : 寺院城郭
遺  構 : 石垣、土塁、堀、虎口
訪城日 : 平成24年7月2日         

歴   史

永原御殿からの移築書院
芦浦観音寺は、聖徳太子開基、秦河勝創建の伝承を持つ古刹であるが、現在の寺は、応永15年(1408)に京都普勧寺の僧・歓雅により天台宗寺院として再興されたことに始まると伝えられる。同寺が歴代上に重要な役割を果たすようになるのは、天正2年(1574)織田信長から7世慶順が琵琶湖の水運権を任されてからで、その後十三世朝舜までの7代111年に亘り湖上の船の改役を勤めた。
特に九世詮舜は、豊臣秀吉の下で近江国内の蔵入地の代官と琵琶湖湖上水運全体を管掌する船奉行として活躍し、徳川時代においても十世朝賢が湖南・湖東を中心とする幕領約二万四千石の代官及び船奉行となり、また永原御殿の作事奉行にもなっているが、貞享2年(1685)に代官職を罷免され、政治から離れた後は天台宗の一寺院として現在に至っている。

構造と感想
芦浦観音寺は、草津市の北部、守山市と接する芦浦町に所在し、南を走る志那街道を介して東は中山道の宿駅である守山宿、西は草津三港の一つである志那港へと通じ、琵琶湖を隔てて比叡山とも指呼の間にあり、湖南東部の水陸交通の要衝に位置している。
南北120m×東西140〜100mの台形状を呈し、南が狭く北が広がっている。寺の周囲には幅3.6mから8.2mの水堀を巡らし、表門周辺には石垣を築き、四囲に幅6.4mから8.0m、高さ2mの土塁を配する寺観で、中近世の城郭を彷彿とさせる。
なお、近年の調査では安土桃山時代後半から江戸時代の初めに整備されたことが明らかとなってきている。

道 案 内
 表門の内側
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道1号方面に860m程走ると国道1号に下りるランプがあり、左手に下り国道1号に出る。国道1号を南西方向の大津方面に900m程行き上鈎交差点で右折して県道31号線に入る。県道31号線を北西方向に道なりに5.3km程行った志那中交差点で右折し、県道26号線に入る。県道26号線を北北東方向に1.1km程走った先の芦浦交差点で右折し、350m程先の左手が芦浦観音寺である。
              

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