No25365−31 No25365−32
滝川支城 櫟野大原城
(たきがわしじょう) (いちいのおおはらじょう)

滝川支城 郭内北西方向  櫟野大原城 主郭南方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町櫟野字下ノ組 所在地 : 甲賀町櫟野上ノ平
築城年 : 室町時代 築城年 : 室町時代
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、空堀、見張り台、 遺  構 : 土塁、堀切、虎口
訪城日 : 平成25年3月9日 訪城日 : 平成25年3月9日

歴   史

・・・・滝川支・・・・は、滝川城主の滝川氏が築いた滝川城の支城と考えられる。
・・・・櫟野大原城・・・・は、大原伴三郎が築いた城であるが、詳細は不明である。


構造と感想
・・・・滝川・・・・は、甲賀町櫟野のうち下組集落の北西端の丘陵先端部に立地し、櫟野から北の大原谷の神へ通じる道に面する要衝に位置している。滝川城、滝川西城とは櫟野川を挟んで対峙している。
構造は、楕円形状の単郭で、基本的には全周を土塁が囲繞しいたと思われるが、東から南にかけて林道によって破壊されている。北側背後の土塁は高くて巾広く、天端は半円形の小郭で南を除く三方を土塁で囲み、見張り台形式としている。
土塁の外側は、北方の丘陵続きを高低差10mを超える大規模な堀切で断ち切り、西側へ横堀となって廻り込んでいるが、南側半分は市道によって削り取られ、その先の形状は確認できない。また、虎口も南面中央付近にあったと思われるが、改変のため不明である。
・・・・櫟野大原城・・・・は、甲賀町櫟野のうち下田集落の西、県道131号線と櫟野川が交差する北側の独立丘陵上に位置している。
構造は、東西に細長い丘陵の頂部を堀切で区画した三つの郭を連郭式に配置し、その西側30m程離れた中腹にもう一つ郭を設けている。地形に合わせ一番東の郭が最も高所で西に向かって徐々に低くなる。一般的に頂部のピークに主郭が置かれるが、当城では高さ5.4〜3.6mの土塁に囲繞された約20m四方の中の郭が主郭と思われる。しかし、中の郭の土塁天端と東の郭面との高さがほとんど同じで、また、東の郭も東面に高さ50cmの土塁とその外側に深さ1.8mの堀切を伴うが、城外と郭面との高低差がほとんど無く、防御に不利な地形を堀切によってカバーしている感がある。
中の郭には、南面中央に平入り虎口が開口し、ここから南側に沿った横堀状の堀底道を通り、西の郭に連絡している。西の郭は、東西約45m、南北約28m、中の郭からの落差3.6mで、北から西面に高さ7mの削り残しの土塁をめぐらしている。土塁北西隅の天端がやや巾広の台形状を呈し、櫓台であったと思われる。
西端の中腹にある郭については、半楕円形をし、東側に馬蹄形の溝をめぐらすが、他の三郭と造りや形状等が異なっており、城郭以外の構築物の可能性が指摘されている。

道 案 内
・・・・滝川・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線に入り、南東に道なりに5.1km程行った田堵野西交差点を直進する。県道51号線に入り南東に320m程先の油日農協前交差点を直進し、県道135号線に入る。さらに南東に県道135号線を530m程行った所で左折し、引き続き県道135号を北東に道なりに300m程行くと油日交差点に至る。同交差点を直進し県道131号線に入る。県道131号線を東に道なりに2.3km程行った集落手前のY字路を斜め左手に入り、220m程坂を下り、櫟野川を渡った所のT字路を左折する。西に集落内を140m程行った先のY字路を右手に入り、100m程先で道が左に大きくカーブする北側の丘陵上が城跡である。
・・・・櫟野大原城・・・・は、上記の「県道131号線を東に道なりに2.3km程行った集落手前のY字路」で逆の右手に進み、県道131号線をそのまま830m程行くと櫟野川を渡る。渡った直ぐ左手の独立丘陵上が城跡である。

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滝川支城 背後の堀切 櫟野大原城 主郭北側の堀切