No25365−29 | No25365−30 | ||
滝川城 | 滝川西城 | ||
(たきがわじょう) | (たきがわにしじょう) |
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滝川城 屈曲した城道 | 滝川城 主郭の南西隅部 |
◆ 城郭の概要 | ◆ 城郭の概要 | |
別 名 : 五反田城 | 別 名 : | |
所在地 : 甲賀町櫟野字五反田 | 所在地 : 甲賀町櫟野字五反田 | |
築城年 : 室町時代 | 築城年 : 室町時代 | |
形 式 : 丘城 | 形 式 : 丘城 | |
遺 構 : 土塁、堀切、溜池、 | 遺 構 : 土塁、堀切、溜池、 | |
訪城日 : 平成25年3月9日 | 訪城日 : 平成25年3月9日 |
◆ 歴 史 |
・・・・滝川城・・・・は、大原荘の東部、櫟野一帯に蟠踞(ばんきょ)した滝川一族の本拠に関わる遺跡で、『近江與地志略』に「瀧川氏居城の跡なりといふ」と記されている。東側の滝川城が滝川氏の本城と伝えられ、市指定史跡になっている。 |
◆ 構造と感想 |
・・・・滝川城・・・・は、甲賀町櫟野のうち、下組集落の南西、櫟野川を隔てた東西にのびる丘陵から北に張出す支尾根の先端に所在する。東側が滝川城で、西側支尾根の滝川西城と並んで築かれ、櫟野川を天然の堀としている。 滝川城の登り口は、東北の張り部に設けられた二段の小平坦地を屈曲しながら登り主郭に入る。主郭は東西約40m、南北約30mで、南北面に土塁が残るが、東西面にはなく開墾で失われた可能性が高い。本来は四囲を土塁に囲繞された方形区画であったと思われる。 北面土塁は山の神を祀るために破壊された中央部以外は完存で、壁面はほぼ垂直に立ち上がる見事な土塁である。南面土塁は北面土塁よりも高く分厚く造られ、中央の最高所裾には食い込むように方形の溜池が掘られている。 南面土塁の外側は、大きく掘り切られているが、堀底に巾があり、その西は帯郭となり、その北は急斜面で落ち込んで帯状の腰郭となる。 しかし、堀切外側の尾根上が10数mに亘りしっかり削平されており、これは堀切の機能を弱め、また、西側の帯郭や腰郭が見下ろされることになり、縄張りとして不自然手あり耕地化に伴う改変で南面土塁の西端部が破壊された結果の形状と推測される。 ・・・・滝川西城・・・・は、滝川城から谷を隔てた西側の尾根先端部に築かれている。滝川城よりやや大きく、複雑な縄張りであったようだが、耕地化により大きな改変を受けており、本来の姿は分かり辛い。尾根の最先端に築かれた郭が主郭と見られ、東西約35m、南北約30mで、東西面に土塁が残る。北面は中央やや東寄りに開口しているが、本来は土塁が繋がっていたと考えられる。 主郭北面の土塁外側は、堀切で仕切られ、その南東側の西縁を今は埋められた堀と、北縁を堀切で区画された郭が想定され、滝川城と一体的に運用するための繋ぎの役割を担ったと思われる。 主郭の西側の帯郭は、開墾で広がり、主郭に直結する開口部も破壊道とみられる。 基本的には甲賀で一般的な背後を堀切で遮断し、土塁に囲繞された主郭を構える構造をしている。 |
◆ 道 案 内 | ||
・・・・滝川城・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線に入り、南東に道なりに5.1km程行った田堵野西交差点を直進する。県道51号線に入り南東に320m程先の油日農協前交差点を直進し、県道135号線に入る。さらに南東に県道135号線を530m程行った所で左折し、引き続き県道135号を北東に道なりに300m程行くと油日交差点に至る。同交差点を直進し県道131号線に入る。県道131号線を東に道なりに2.3km程行った集落手前のY字路を斜め左手に入り、220m程坂を下り、櫟野川を渡った所で駐車。左手西方の山林に白い案内板が見える。そこが登り口である。 ・・・・滝川西城・・・・は、滝川城の西側尾根先端にあり、東側への張出し(南東郭)の北側付け根付近から登る。または、東側への張出し(南東郭)の南側を西に登ると南端の堀切に出る。 |
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滝川城 北側の土塁 | 滝川城 南東郭の背後堀切 | |
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滝川城 溜池 | 滝川城 南東郭の南西隅の土塁上 |