No25441-03 八町城 (はっちょうじょう)       

土塁 隼人正の顕彰碑

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 豊郷町八町
築城年 : 永正年間(1504~1521)
形  式 : 平城(居館)
遺  構 : 土塁、空堀
訪城日 : 平成22年4月11日     

歴   史

応永年間(1393~1427)に越後国三島郡赤田保の地頭だった赤田備が近江に移り住み、栄が犬上郡久徳郷曽我に曽我城を築城し本拠とした。赤田氏は嵯峨源氏渡辺氏の支流で、近江守護佐々木氏に仕えた。
永正年間(1504~1521)隼人正隆の時に新たに八町城を築城し移った。赤田氏は京極氏に代わって江北で勢力を拡大した浅井氏に従い、信濃守姓は織田信長との姉川・小谷城の戦いに参陣して活躍している。しかし、浅井氏が滅亡すると赤田氏も運命をともにし没落した。
姓の子・堅はのちに秀吉に5千石で召抱えられ赤田氏再興を果たすが、跡継ぎが幼少のうちに没したため所領没収となった。堅の子・虎之介は、関ヶ原合戦で西軍に属し、赤田氏再興を図ったが西軍の敗北に終わり、再興はならなかった。


構造と感想
集落の西の常禅寺と隣接する白山神社の一帯が八町城の城域と考えられている。特に常禅寺の北・西・南の三方に土塁が残っており、寺と神社の間には二条の土塁が確認され、その間は堀であったようだ。寺の北側には、水堀が残っていたというが、現在は埋め立てられ藪となっている。
なお、常禅寺の境内にある墓地には、赤田信濃守高の墓があり、寺の山門前には城址碑が建てられている。

道 案 内            
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に770m行った国道8号の外町交差点を左折する。国道8号を南に8.7km行った高野瀬交差点で左折し、県道219号に入る。東に道なりに1.8km行くと白山神社の前に至る。神社手前で左折し、130m先の右手に土塁の切れ目があり、そこから境内に入れる。付近に駐車も可。寺の山門は東側にある。

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