No25202-07 | 彦根城 | (ひこねじょう) |
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天守と付櫓と高石垣 | 鐘の丸と太鼓丸の間の大堀切 |
◆ 城郭の概要 | ![]() |
別 名 : 金亀城 | |
所在地 : 彦根市金亀町 | |
築城年 : 慶長8年(1603) | |
形 式 : 平山城(標高163m) | |
遺 構 : 天守(国宝)、西ノ丸三重櫓、天秤櫓、 佐和口多聞櫓、馬屋、太鼓門、 石垣、水堀、堀切、登り石垣、竪堀、虎口 |
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訪城日 : 平成22年5月9日 |
◆ 歴 史 | ![]() ![]() |
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の論功行賞によって石田三成の旧領は井伊直政に与えられ、上野国高崎から18万石で入封した。直政は一旦、佐和山城に入城し、新城の築城を計画したが、同7年に関ヶ原合戦の鉄砲傷が悪化し死去した。嫡子直継は幼少で、補佐する家老木俣土佐は彦根山への新城の築城について家康の裁可を得て同9年より工事が開始された。 |
◆ 構造と感想 |
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現在、外堀は埋められ残っていないが、中堀より内側の遺構が極めて良好に残っており、往時の姿を偲ぶには十分すぎる素晴らしい遺構である。 城の構造は、詰城と居館がセットになった二元的構造を持っている。彦根山の山頂部は中央に本丸を置き、西に西の丸と人質郭を、東に太鼓丸と鐘の丸を連郭式に配し、太鼓丸と鐘の丸の間そして西の丸と人質郭の間に大堀切を設け主要部を区画するとともに、斜面には登り石垣と竪堀をセットで5箇所に設け、斜面の横移動も遮断するなど、まさに中世山城の造りそのもと云える。 中世山城との違いは、石垣で固められている点や山下に三重の水堀を設け総構えとしている点である。山下である第二郭に重臣屋敷を、第三郭は「内町」と称し、武家屋敷と町人、また外堀の外の第四郭の「外町」には町人の住居と足軽の組屋敷を配した。内町・外町ともに武士と町人が居住していたが、明確に分化配置されていた。 |
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◆ 道 案 内 |
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に750m程行った外町交差点を直進する。県道25号線入りJR跨線橋を越えて1.4km程行くと京町交差点で右折する。直ぐに外堀(旧中堀)に架かる橋を渡る。道なりに400m程進んだ先の左手が表門橋で、右側が有料駐車場である。 |
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天守と桜 西の丸石垣と桜 | |||
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天秤櫓と桜 佐和口多聞櫓と桜 | |||
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京橋口雁木と桜 京橋口と桜 | |||
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大手登り石垣と桜 鉢巻・腰巻石垣と桜 | |||
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彦根城の石垣と桜 西の丸と桜 |