No25463-06 番場城 (ばんばじょう)       

主郭南の堀切 主郭南方向

城郭の概要
居館部の水堀
別  名 : 殿屋敷城(とのやしきじょう)
所在地 : 坂田郡米原町番場
築城年 : 不詳
形  式 : 山城(200m)
遺  構 : 土塁、堀切、石積み、水堀、
訪城日 : 平成21年12月12日      

歴   史
居館部の屋敷跡地
番場は東山道(中山道)の宿場町で、鎌倉時代には西遷御家人土肥氏が番場を含む箕浦荘の地頭に補任されていた。土肥氏は番場に居館を構え、その跡は現在「殿屋敷」と呼ばれている。その土肥氏の居館に対する詰城が番場城と考えられている。
戦国時代になると番場の領主は土肥氏から堀氏に代わり、「今井軍記」に文明4年(1472)に今井秀遠が堀次郎左衛門尉の立て籠もる鎌刃城を攻めたとの記述があり、この頃には堀氏が箕浦荘を領していたようである。
                   

構造と感想
城跡は東山道(中山道)を見下ろす、標高200mの丘陵先端上に位置し、麓からの比高は100m程である。
南へ続く尾根筋を大堀切で遮断し、北側に2段の削平地を設けている。大堀切の北側が主郭でその南端の堀切に接する部分に一段高い10m×13mの櫓台が置かれ、櫓台から北に続く35m×20mの主郭の三方には土塁が廻っている。主郭の北に腰郭が一段付加されている。大堀切から南に50m程不明瞭な削平地が続き、その南東端に土橋を伴う浅い堀切が構築されている。
明治6年の地積図には、この城跡の北方100mの地点に方形で「殿屋敷」の記載があるが、南麓にも居館跡の遺構がある。大きく4段になっており、下段は1.5mの切岸、中段は1mの石積みでその下に水堀が設けられている。上段の奥は水堀によって区画され、その奥に緩やかな傾斜のある広い平坦地が続いている。
この居館遺構のある場所は、谷間で現在の状態は相当に湿潤であり、舘を構えられた土地なのか疑問が残る。また、土肥氏の居館跡は、殿屋敷に比定されており、南麓の遺構を居館遺構とすると誰の居館であったのだろうか。

道 案 内            
 居館の石積み
国道21号の米原IC口交差点を西に240m程行った樋口西交差点で左折、県道240号線に入り南に1.3km程行った番場交差点で左折する。南に600m程進むと左側に大きな鎌刃城の案内板が出ているので、案内板にある滝谷林道(集落の南端に登り口)に入り、名神高速道のガードをくぐると、70m程先の左手に壊れかけの小屋がある。その対面の細い道を50m程入った左手に山に登る道があり10分も登れば城跡に至る。    

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