No25366−24 No25366−25
望月青木城 望月村嶋城
(もちづきあおきじょう) (もちづきむらしまじょう)

望月青木城 主郭と慰霊碑 望月村嶋城 東側土塁内上方より

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 龍王山青木城、 別  名 : 村島城、望月城
所在地 : 甲南町柑子字太平・六反田  所在地 : 甲南町柑子字谷出  
築城年 : 明応年間(1492〜1501) 築城年 : 文明12年(1480)
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土壇、井戸、堀切 遺  構 : 土塁、櫓台、堀切
訪城日 : 平成24年5月5日 訪城日 : 平成24年5月5日

歴   史

・・・・望月青木城・・・・は、『甲賀郡志』に望月為三郎重武の居城なりと記されている。
『佐々木南北諸士帳』に糀村城主 佐々木随兵望月刑部左衛門、糀村城主 箕作随兵望月出雲守の名が見える。
・・・・望月村嶋城・・・・は、『甲賀郡志』に文明12年(1480)の築城にして望月村島守重元其子重房等の居りし所なりと記されている。また、村嶋の名は、明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」の木札に「村嶋殿」と見えている。
甲南町杉谷の「望月城」が注目されるまでは、「望月城」と云えば一般に柑子の当城を指していた。


構造と感想
・・・・望月青木城・・・・は、甲南町柑子集落の北方、浅野川の沿いに形成された谷の入口となる西側の丘陵先端に築かれている。この同じ丘陵の南270mには、望月村嶋城が築かれている。
南側の丘陵続きが極端に細く、先端部が独立丘状となった丘陵の最高所に主郭を置き、主郭の南北に郭を連旦させる構造である。一段下がった北側に中心にため池が、その周囲の斜面には四つの小さな削平地が連なっている。南側は一段の腰郭を経て堀切状の鞍部となり、その先100m程が細尾根で削平も見られるが、城域とは判断し難いとされる。
なお、この城には土塁や横堀は設けられておらず、切岸のみによる防御である。主郭には「青木城先祖之碑」が建てられ、また、ため池には現在も滞水があり、当時を偲ばせるには十分である。
・・・・望月村嶋城・・・・は、甲南町柑子集落の中心付近に分断するように西から突出する丘陵先端に築かれている。主郭は尾根先を掘り込み北を除く三方に土塁を削り残している。南西隅が最も高く郭面から約6mもあるが、郭の規模に対し土塁の規模が巨大である。土塁は南西隅から離れるに従い高さを減じていく。天端は巾1.5m程あり、南西隅では広くなり櫓台状になっている。南西背後の尾根続きは鞍部で両側から削り込み細尾根にし、その先を長土橋状にしている。やや遮断が弱いように思われる。

道 案 内
・・・・望月青木城・・・・は、新名神高速を下りた甲南IC口交差点を左折し、広域農道に入る。広域農道を北に540m程行った新治口交差点で右折し、県道337号線に入る。県道337号線を東に道なりに2.3km程行ったT字路で右折し、県道134号線に入る。県道134号線を南に1.2km程行ったY字路の正面の丘陵上が城跡である。
Y字路を左へ進み、右側に設置された説明板付近から山に入り、主郭の東下から北側を周り、北西側から主郭へ登る通路がある。
・・・・望月村嶋城・・・・は、 上記のY字路から450m程南下し、崇福寺を過ぎて直ぐのT字路で右折し西に入る。最奥の城山の南側にある民家の脇から土塁上に通じる道が付いているようである。

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望月青木城 ため池 望月村嶋城 南西城外の細長い削平地