No25207−14 | 焔魔堂城 | (えんまどうじょう) |
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小字新替(城跡) | 十王寺(焔魔堂) |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 守山市焔魔堂町 |
築城年 : |
形 式 : 平城 |
遺 構 : |
訪城日 : 平成25年9月8日 |
◆ 歴 史 |
『一遍上人絵伝』第四巻の詞書に「江州守山のほとり、焔魔堂といふ所におはしける時」比叡山の僧重豪が訪ねてきたことを記しており、鎌倉期には「焔魔堂」は既に地名化して集落の名となり、しかもそこが山門の一つの拠点であったらしいことがうかがえることから、おそらく焔魔堂城にも、「山徒」的な在地領主が居住したと推測されている。 なお、焔魔堂という町名は、小野篁(802〜50)が閻魔堂(五道山十王寺)開基に高市玄麿作と伝わる閻魔大王像を安置したことに由来する。 十王寺は、浄土宗寺院で閻魔堂とも称され、また、小野篁が十王と倶生神の像を刻み、これを祀ったことから十王寺と称されるようになった。十王とは人間の死後の世界で生前の行いを裁く王の事で、閻魔大王などを指す。五道とは人間が生前の善悪所業によって到着する五つの場所(天上、人間、地獄、畜生、餓鬼)のことである。 しかし、小野篁が亡くなった後、いつ間にか十王が無くなり、倶生神のみとなり、日野の新楽院より十王像の寄付を受けている。現在の堂内には、十王、倶生神、小野篁像、閻魔の本地仏である地蔵菩薩、閻魔王が祀られている。 |
◆ 構造と感想 |
焔魔堂城の築城年代や築城者など詳細は不明であるが、城に因むとされる「城之浦」という小字の北側に小字「新替」が存し、その中央が周囲より一段高い畑地となっていて、中世土器片が表面採取されたことから、城館跡と推測されている。なお、「新替」は「新開」の転訛としたもので、城の廃絶後に新しく耕地として開かれたことを示すものでないかと考えられている。一部で住宅開発に伴う発掘調査が行われているが城郭に関係する出土はないようである。 |
◆ 道 案 内 |
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道8号方面に向かい1.4km程走ると国道8号に合流する。国道8号に入り北東方向に520m程先の宅屋口バス停を越えた交差点(北東側にパチンコ店がある。)を左折する。県道145号線に入り北西方向に道なりに2.5km程行った焔魔堂町交差点を左折し、南西に110m程先の右手前方が十王寺である。 焔魔堂町交差点を直進し、200m程行った左手奥が小字「新替」である。焔魔堂町西交差点の少し手前である。 |
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