No25521−06 沢村城 (さわむらじょう)       

南西角の土盛り 北東角の土盛り

城郭の概要                  
別  名 : 小丸館、田屋氏館
所在地 : マキノ町沢
築城年 : 南北朝期
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀跡
訪城日 : 平成24年11月24日

歴   史
沢村城は、南北朝期に饗庭氏が築城し、沢村の田屋淡路守が居住したのち、天正6年(1578)磯野員昌の旧領である高島郡を継いだ織田信澄が城を廃した。天正10年(1582)6月本能寺の変後に信澄を倒した丹羽長秀の所領となり、翌年3月の賤ヶ岳合戦に際して、羽柴秀吉方の長秀が柴田軍の南下を阻止するため、知内浜城や沢村城、森西山城を修築したとされる。
なお、田屋淡路守は同じ沢村の長法寺館にいた可能性があり、別に田屋山城守の家臣・小丸市正が当城にいたとの伝承も残っている。

構造と感想
沢村城は、沢村の小字道西に所在したと推定される城跡である。
長法寺館の北西100m程の所に俗に「小丸」と呼ばれる東西30m、南北25mの方形をした薮地があり、その北東端に高さ2.4m程の土壇がある。土壇から西方に約20m、南方に約12mの土盛りが伸びL字状を呈し、外周には俗称蛇ノ目池(薮地と光明寺の間に在った。)からの川溝が二重にに通っている。また、南西の角にも川溝を伴うL字状の土盛りがあり、居館の存在が想定されるとする。
さらに、「小丸」の約60m西方の光明寺があり、その北面にも土盛りがあって、寺域の北の畑地を的場、馬場と呼び伝えられることから、ここにも居館があったと考えられている。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から敦賀方面の西方向に6.5km程行った塩津交差点で左折し国道303号に入る。国道303号を8.1km程走ると国道161号との野口交差点に至る。野口交差点を左折して国道161号に入り、今津方面に7.8km程行った沢ランプで高架を下りて直ぐの県道335号線の沢交差点を右折する。北に500m程北上すると長法寺前に至る。長法寺前で左折し、路地を40m入ると沢草の根ハウスが左手にあり駐車させていただく。そこから西に歩き北側二本目の脇道に右折し50m程で城跡の南西端に至る。なお、光明寺は三本目の脇道に入って約60mの左手である。

TOPへ 戻る