No25365−15 No25365−16
打越城 砂坂城
(うちこしじょう) (すなさかじょう)

打越城 横堀 砂坂城 西郭の西方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町隠岐字打越 所在地 : 甲賀町隠岐字砂坂
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、横堀、横矢掛かり 遺  構 : 土塁
訪城日 : 平成23年11月12日 訪城日 : 平成23年11月12日

歴   史

・・・・打越城・・・・は、この地を本拠としていた隠岐氏の城館群の1つと考えられているが、城歴等の詳細は不明である。
『甲賀郡志』に「元弘年間(1331〜33)佐々木兵庫頭清三(隠岐国主佐々木判官義清の遠孫と云う。)城を築きて之に居り、祖先は隠岐国主なるを以って氏を隠岐と改め、同時に村をも隠岐と改む。後孫右近太夫頼廣に至り遂に城邑を失ふ。」とある。隠岐家は、甲賀二十一家の1つで六角氏より感状を与えられるほど信頼の厚かった家である。
・・・・砂坂城・・・・は、この地を本拠としていた隠岐氏の城館群の1つと考えられているが、城歴等の詳細は不明である。


構造と感想
・・・・打越城・・・・は、隠岐地区中央を流れる佐治川南岸沿いの小丘陵上に密集して築かれた城館群のうち最北端に位置している。中央部に東西約30m、南北約25mの方形区画を置き、周囲はほぼ全周に土塁がめぐっていたようだが、東面と南西隅に土塁基底部が残存するのみとなっている。東から北、そして北西隅までの外側に、さらに土塁が築かれ、横堀が取り巻く形になって防御を固めている。この外側土塁の東辺中央部が東に張出し、横矢が利くようにしている。また、郭を取り巻く土塁の内側に堀状の溝が掘られているが、どのように機能したかはよく分からない。虎口は南側にあったと考えられているが、遺構の破壊が大分進んでおり、現状から本来の構造を掴むのは難い。
・・・・砂坂城・・・・は、隠岐地区の南端に東西に並ぶ三城の中央に位置している。やや東西に長い尾根上に連郭式に郭を連ねている。西郭が東西約30m、南北約20mの方形で、東面と西面には土塁が築かれている。西郭の東側に東西約20m、南北約15mの中郭がある。中郭の東側は民家敷地の造成のため削られているが、(東)郭が存在したと思われる。また、東郭から北東にのびる尾根上にも平坦地があり腰郭と見られる。通路は、北側斜面を登って東郭の北東端に達している。通路は途中で分岐し中郭の北西隅から郭内に入り、西へ鋭角に折れ、西郭の東面土塁の北側を回り込み西郭へと通じている。現状は竹の繁茂が著しく城内に入るのに躊躇する。

道 案 内
・・・・打越城・・・・は、国道1号と国道307号の交差部から鈴鹿峠方面に向かって2.0km程行った水口町今郷のランプを下りて右折、県道126号線に入り南に1.1km程行った所で右にカーブし、引き続き県道126号線を2.0km程走ると佐山小学校前交差点に至る。その交差点を右折して県道127号線を810m程行った打越バス停の所のT字路を左折する。南に370m程行った十字路付近で駐車。そこから北東方向120mにある香蓮寺へ向かう。香蓮寺の背後が城跡である。
・・・・砂坂城・・・・は、佐山小学校前交差点を右折して県道127号線に入り、西に1.3km程行った隠岐病院を越した十字路で左折する。南に410m程行った法蔵院東側の十字路を左にUターンするように曲ると直ぐ右手にグランドがある。グランド南側の丘陵上が城跡である。

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打越城 外側土塁の張出し 砂坂城 西郭東面の土塁
打越城 郭内の堀状溝と土塁基底部