No25502-6 法華寺跡 (ほっけじあと)       

石段と石垣 東側尾根の土塁

城郭の概要 上段
別  名 :
所在地 : 伊香郡木之本町古橋
築城年 : 平安期
形  式 : 城郭寺院 
遺  構 : 石垣、石塁、土塁、堀込み(竪堀)      
訪城日 : 平成22年5月3日               

歴   史
神亀元年(724)に行基が薬師如来を本尊として創建し、その後伝教大師(最澄)が寺坊を修復して日光、月光菩薩をはじめ十三神将を刻して祀ったと伝えられる。
嘉吉元年(1441)の年号のある興福寺文書によると僧房百二十宇宗徒五十口とあり、当時は己高庵惣山の院主を務めるなど己高山七ヶ寺院として小谷城主三代の帰依深く、また豊臣秀吉や徳川家の庇護を受け、格式を誇っていたと伝えられる。

構造と感想
山中に多くの削平地が認められ、その中枢部と見られる参道あたり一帯には石積みがなされている。その東側の尾根は太く大きく削土され土塁状にしてあり、寺坊に防御がなされていたことがうかがえる。
東屋から寺跡に向かう谷道の右手山上にも城郭に関連する「城ケ尾」と云う地があり、連続した堀切があるようだ。また、左手の尾根には大規模な堀込みが山上に向かってなされてあるのが見える。さらに、川合に通じる裏手の古道(ウグイス越え)の上手の山尾根に砦跡があるとされ、これらが法華寺の外構えと考えられている。
この近くに石田三成が関ヶ原の戦い(慶長5年(1600))での敗戦後、ここ古橋に逃れて来て身を隠したという大蛇(おとち)の洞窟がある。この洞窟へは東屋の所で左手に入って行き、40〜50分ほど山を登った所のようである
ここ古橋は、三成の母の里、三成の領内という血縁・地縁の地であったことや三成の居城・佐和山城の法華丸を法華寺に関わりのあった衆らが築いたと云われることなど、三成と大きな由縁があった地のようである。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から東に540m程行った木之本交差点を右折し、南に1km程行った千田北交差点を右折する。ループ状の高架を登り国道303号に入り、東に900m程行った田部東交差点を右折する。国道365号に入り、南に430m程行った田部交差点を110m程越えたT字路を左折する。県道281号へ入り、東に1.6km程行って左折し、県道281号へ入って北に240m程行ったY字路を斜め右方向の旧道へ。旧道を510m程行き富井商店を越えたところのY字路を斜め右方向に進み480m程行ったY字路をまた斜め右方向に入る。120m程先の右手に東屋がある。この東屋から700m程で法華寺の石段下に至る。
車は、最後のY字路で駐車するのが無難である。

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