No25441-01 高野瀬城 (たかのせじょう)       

城跡碑 西よりの遠景

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 豊郷町高野瀬
築城年 : 不詳
形  式 : 平城
遺  構 : -
訪城日 : 平成22年10月11日 

歴   史
高野瀬城の築城年は定かではないが、高野瀬家広によって築かれたとされる。高野瀬城は、旧中山道高野瀬集落の西にあって、さらに西1kmには同族の居城であった肥田城がある。
高野瀬氏は、近江源氏佐々木氏の一族愛智氏の支流で、鎌倉時代から愛知郡内に居住していたようである。同氏は応仁・文明の乱に際して京極氏に従って細川勝元に仕えていた記録が残されている。享禄2年(1529)には、佐々木定頼の娘が細川晴元と結婚するときの使者として、高野頼家澄がその任に当たっている。大永5年(1525)佐々木定頼が浅井亮政を江北に攻めたとき、伊庭・九里とも対立していたことから苦境に陥り、細川高国の援けを請うたが、戦いは長びき朝倉教景を介して浅井氏との調停を申し入れた。この間、定頼は江北・江南の境目にあるこの城に滞在し、浅井氏に対峙ている。

構造と感想
現在は、古河オートモーティブパーツ㈱の南西側にある正門横に城跡碑が建てられているのみで、遺構は何も残っていない。

道 案 内            
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に770m行った国道8号の外町交差点で左折する。国道8号に入り南に8.9km先のラーメン大学のある交差点(200m手前の高野瀬交差点の次の交差点)を左折し、東に道なりに410m進むと左手に城跡碑がある。会社の敷地が城跡である。

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