No25362−07 No25362−08
丸岡城 東丸岡城
(まるおかじょう) (ひがしまるおかじょう)

丸岡城 南面の二重土塁 東丸岡城 北側の横堀

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 養林寺城 別  名 :
所在地 : 甲西町柑子袋(現:湖南市柑子袋) 所在地 : 甲西町柑子袋(現:湖南市柑子袋)
築城年 : 鎌倉時代 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀、土橋、竪土塁、井戸 遺  構 : 土塁、堀、土橋
訪城日 : 平成25年4月13日 訪城日 : 平成25年4月13日

歴   史

・・・・丸岡城・・・・は、治承4年(1180)源頼朝の挙兵に従って軍功を立て源姓を賜ったとされる青木頼忠父子の子藤兵衛尉が建久年間(1190-98)に築城し、柑子袋東寺平松を領したと伝えられている。
青木氏は甲賀五十三家の一家で、元亀年間(1570〜73)に織田信長に下り、天正13年(1585)には豊臣秀吉により領地を召し上げられている。
・・・・東丸岡城・・・・は、青木治部の居城と伝わるが、詳細は不明である。 


構造と感想
・・・・丸岡城・・・・は、旧東海道の約200mほど南、柑子袋集落に南西から迫る丘陵先端部に築かれている。東側約70mには支城と考えられている東丸岡城があり、さらに南東方向の丘陵先端部に甲賀で一般的な単郭の城砦が連続して築かれ、約3km南東の山上には三雲城、約1km北西には石部城が所在しており、野洲川沿いからの甲賀郡への入口となる地域として重要視されたことが窺える。
柑子袋集落墓地へ通じる道路の右手が城跡で、方形の主郭に虎口を形成する曲尺折れの土塁を東側に付加し、桝形状虎口としている。主郭の北側斜面にも竪土塁や平坦地が認められるが城域かはっきりしない。
六角氏のゲリラ戦の拠点であった石部城三雲城の中間に位置し、虎口部は、織田氏もしくは六角氏により改修されたものと思われる。
・・・・東丸岡城・・・・は、丸岡城の支城とされ、その東側おおよそ70mに所在している。
構造は、甲賀に一般的な単郭方形の城砦で、東西50m×南北50m程の規模で四囲を土塁が囲繞し、さらに北側半分には一段下がって横堀がめぐらされている。遺構は良く残っており、見応え十分であるが、手入れはなされていない。

道 案 内
・・・・丸岡城・・・・は、名神高速道栗東インターで下り、取付道路の900m程先で国道1号に出て水口方面に向かう。7km程先の柑子袋西交差点で右折、250m程先でJR草津線を越え、さらに390m程行って左折する。東に210m程行った左手の光林寺の前で右折、110m程先で道なりに右折、西に110m程行き道なりに左折、南に80m程行った突き当たりを左折して小川(落合川)沿いに130m程東進して右折する。山側に向かい180m程で墓地に至る。この墓地の北西側が城跡である。
・・・・東丸岡城・・・・は、丸岡城の東側おおよそ70mに所在している。

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丸岡城 東虎口(90度折れて入る。) 東丸岡城 南面土塁内
丸岡城 東郭(奥の右手が虎口)
東丸岡城 南側堀切