No25402-05 金堂城 (こんどうじょう)       

大城神社 土塁、空堀

城郭の概要                  
 陣屋跡地
別  名 :
所在地 : 神崎郡五個荘町金堂
築城年 : 不詳
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀
訪城日 : 平成22年10月23日

歴   史
徳勝寺の陣屋移築門

大城神社は、観音寺城の裏鬼門の守護神として六角氏が勧進したと伝えられるが、金堂城に関する歴史の詳細は、不明である。
なお、近くの弘誓寺、浄栄寺には、金堂陣屋があったとされ、本多忠平が貞享2年(1685)に下野国宇都宮から大和郡山に移封された際、飛領地として近江の三郡を領し、、その在地代官所として築かれた。その後、大和郡山藩に柳沢吉里が入封し、近江の所領も受け継ぎ明治維新を迎えた。
陣屋には、代官1名、手代2名、書役1〜2名が常駐していたと云う。維新後、敷地は民間に払い下げられたが、長屋門が勝徳寺に移築され現存している。


構造と感想
金堂地区の大城神社一帯が金堂城に比定されている。大城神社境内の東側と北側に微かな土塁と空堀が残り、また、神社前の道路は道幅が広く、今も「馬場」と呼ばれている。
大城神社東側には、平景清(悪七兵衛)が通った古道とされる景清道が走っており、金堂城は間道を押さえる目的もあったようである。
近江商人の町並が整備され散策が楽しめる一帯である。

道 案 内
彦根方面より国道8号線を南進して来て、大型電気店のある北町屋交差点で右折し、西に350m程行った次の信号を右折し、北に210m程進み左折する。西に150m程で城跡である大城神社の前に行き着く。

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