No25463-04 | 地頭山城 | (じとうやまじょう) |
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主郭部北端の石列 | 主郭部南の仕切土塁 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 坂田郡米原町寺倉 |
築城年 : 戦国期 |
形 式 : 山城(249.1m) |
遺 構 : 土塁、堀切、竪堀、石列、 |
訪城日 : 平成21年12月12日 |
◆ 歴 史 |
「浅井三代記」の永正15年(1518)に堀能登守頼定が樋口氏と共に「門根村の城」に立て籠もったとあり、その城が地頭山城と考えられている。
また、天文22年(1553)浅井久政は、六角義賢との地頭山合戦で大敗を喫し講和を乞い、嫡男(後の長政)に義賢の一字をもらい受け賢政と名乗らせ、さらに義賢の家臣・平井定武の娘を賢政の妻に迎えるなど六角氏の属国的な扱いを受ける切っ掛けとなった城でもある。 |
◆ 構造と感想 |
標高249.1mの地頭山山頂に位置し、東に中山道、北に天野川を隔て朝妻街道を望む要衝の地である。 主郭部は南北に150m、東西に15〜35m程の広さがあるが、切岸は甘く、削平も非常に不明瞭なもので、わずかに南端部の段築と土塁に明確さが認められる程度である。なお、主郭部の北端では竪堀が、主郭から北250mに堀切がやや明確に残存している。 しかし、全体に明瞭性に欠ける城跡で、近隣の「境目の城」と比較し落差が大きい。 |
◆ 道 案 内 | ![]() 北端の堀切 |
国道21号の米原IC口交差点を西に240m程行った樋口西交差点で左折し県道240号線に入り、南に600m程進んだ北陸自動車道のガード下を出た直ぐを南西に右折する。旧道に入り山裾沿いを300m程行くと、右手に一軒家がある。その近辺に路駐し、一軒家の北側の山道に入り、西に180m進むと日吉神社の裏に出る。明瞭な道がないので本殿の裏から直登するように20分程登ると頂上の城址に至る。 |
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