No25521−11 小荒路の遺構 (こあらじのいこう)       

雛壇状帯郭 支尾根上の削平地

城郭の概要                  
別  名 : 追坂城
所在地 : マキノ町小荒路
築城年 : 天正期
形  式 : 山城
遺  構 : 帯郭
訪城日 : 平成25年5月5日

歴   史
直接的な文献史料が発見されておらず、城歴等の詳細は不明とされるが、天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦における柴田勝家軍の南進を海津口と塩津口において阻止しようとした丹羽長秀が追坂峠を活かし、最前線の防禦拠点として構築したものでないかと推測されている。
応永34年(1427)に公卿歌人の飛鳥井雅縁が越前下向を記した『道すがらの記』の記述によると逢坂(追坂)峠には関所や人家なども全く無かったようであり、それ以後の築城となる。

構造と感想
福井県敦賀市疋田より国境を越えて南進してきた北国街道の通行者の行く手を遮る形で立ち塞がる山塊の鞍部斜面に構えられている。街道は、古代にはこの地点で直角に曲り西方に向かい山塊を迂回し、浦で左折南進して仲仙寺峠を越えて上開田に出て、海津を経ずに石庭より今津方面に向かっていたが、中世以後は当該鞍部に逢坂(近世は越坂、現在は追坂)峠が切り拓かれ海津へと南下できるようになり、新道または七里半越と呼ばれた。
城の遺構は、峠の西側斜面の麓から支尾根上の削平地に向けて北面、東面、南面の三面に幾段もの帯郭が雛壇状に築かれている。しかし、主尾根上は平坦ではあるが自然地形であり、特異な形態をした砦で、陣城の可能性が高いとされる。
越前と近江の国境の山地部を北国街道が通り抜ける最後の山塊が当山で、この峠を越えれば広々とした高島平野や琵琶湖が眼下に広がっており、要衝の地であるこを肌に感じる。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から敦賀方面の西方向に6.5km程行った塩津交差点で左折し国道303号に入る。国道303号を8.1km程走ると国道161号との野口交差点に至る。野口交差点を左折し国道161号に入り、1.7km程南進すると左手に道の駅「マキノ追坂峠」があり、その対面の山が城跡である。道の駅入口とは反対に曲り、80m程西に入ると左手に山道があるので、そこから登り、中腹辺りで左へ100m程横移動すると城跡である。

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