No25363−18 No25363−19
北内貴城 内貴川田山城
(きたないきじょう) (ないきかわたやまじょう)

北内貴城 主郭虎口の土橋 内貴川田山城 稲荷社郭

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 比佐殿屋敷 別  名 : 内貴城
所在地 : 水口町北内貴字大谷、水口字下真海 所在地 : 水口町北内貴字川田山
築城年 : 永禄年間 築城年 :
形  式 : 山城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀、虎口、土橋、段郭 遺  構 : 土塁、堀切、竪堀
訪城日 : 平成25年3月30日 訪城日 : 平成25年3月30日

歴   史
・・・・北内貴城・・・
永禄年間(1558〜70)に美濃部茂忠が築き、その子治茂の室比佐女(蒲生氏)が在住したとされ、「比佐殿屋敷」の名が伝わる。
・・・・内貴川田城・・・
詳細は不明であるが、内貴氏に関係する城と推測される。
『甲賀郡志』」に紹介される内貴伊賀守が築いたと伝わる「内貴城址」は、遺跡目録などでこの内貴川田城とされてきたが、近年では内貴尾山城がその内貴城である可能性が高いとされる。

構造と感想
・・・・北内貴城・・・
北内貴城は、北内貴の東端、野洲川を見下ろす丘陵頂部に築かれている。
主郭は、甲賀によく見られる高い土塁で囲まれた方形の区画で、南東に虎口が開いている。急峻な崖となる北東面以外の三面は土塁の外側に横堀が掘られている。南東の虎口を出て土橋を渡るとU郭となり、そのU郭も四囲を土塁が囲繞し、急斜面となる北東面以外は横堀で囲まれている。また、U郭の中央付近には、仕切りの土塁が設けられ、その西側区画の北東面からは北下方へ城道が下り、段郭へと通じている。U郭の南西側には、土塁と横堀を隔てて、V郭が設けられ、東端には櫓台と思われる土壇があり、U郭の土塁とともに、尾根続きの南方を防御している。
しかし、V郭も主郭も南西面は緩斜面であり、斜面からの回り込みを防ぐには、十分とは云えない構造をしている。
この城は、甲賀の城が集落背後の位置にあるのに対し、集落との関係が見られず、野洲川沿いからの侵入に備える、広域的な戦略を持って築かれた城と考えられている。
城の付近は、灌木が少ない杉の人工林で、完存に近い遺構が良く観察でき、訪れる甲斐がある。
・・・・内貴川田城・・・
内貴川田山城は、北内貴集落の南東丘陵裾に所在する川田神社に隣接する尾根の先端部に築かれている。参道の右手に続く赤鳥居を通り尾根に上ると稲荷社が祀られており、その敷地が一辺約10mの正方形に整形され、北面を除く三面は掘り残されて土塁状になっている。南側は横堀で南東角でクランクに折れ、そこから竪堀状に斜面を20数m登り、尾根を遮断する横堀とT字状に交わっている。T字の下方両側にやや傾斜を伴う平坦地が見られ、そして巾広の南北方向の堀状窪地で区画されるが、北側区画の中間には竪堀が北に落ちている。窪地の下方北側にもう一区画が続き、その下方が稲荷社の区画である。窪地の下方南側は不陸が続いている。
稲荷社から区画が続くように見えるが、尾根続きを遮断する横堀は浅く狭いもので、城郭遺構か疑問が持たれている。

 内貴川田山城は、城郭大系などで「内貴城」と記載されいる城で、川田神社南側丘陵の西先端部に築かれている。 一の鳥居右手に稲荷社の鳥居があり、ここから登る。
 稲荷社の境内となっている曲輪は、北面を除く三方を土塁に囲まれ、更に境内の背後に一段高くなった曲輪と二つの曲輪ある縄張りで、二つの曲輪南側には空堀が構築されていた。 

道 案 内
・・・・北内貴城・・・
国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り、右折し橋を渡る。橋を渡った直ぐの水口大橋南詰交差点で左折し、左手最初の駐車場に入り駐車する。駐車場から南東に伸びる尾根筋に取り付き、尾根筋を550m程歩くと城跡に至る。
・・・・内貴川田城・・・
上記の水口大橋南詰交差点で右折し、野洲川南岸沿いを580m程下った内貴橋南詰交差点で左折する。南西に道なりに470m程走ると左手側に川田神社があり、その南側丘陵上に城跡がある。

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主郭南西側の土塁と横堀 内貴川田山城 稲荷社背後の土塁
主郭内の西方向