No25504−03 | 集福寺城 | (しゅうふくじじょう) |
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東側中砦の石段 | 東側北砦の段郭 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 集福寺若山城 |
所在地 : 西浅井町集福寺 |
築城年 : |
形 式 : 山城(標高167.1m) |
遺 構 : 土塁、堀切、竪堀、堀切、石積 |
訪城日 : 平成25年10月13日 |
◆ 歴 史 |
関東は武蔵・熊谷から当地塩津に地頭として来任の熊谷氏の関わりの城館とされるが、詳細は不明である。 |
◆ 構造と感想 | ![]() 北西端部を区切る空堀 |
集福寺城は、集福寺集落の西側を南北に貫流する大川を渡った山地とその山麓に築かれている。大川は、この辺りで東に湾曲し、この城の東、南、北の三方を囲う天然の濠となっている。その大川の流れに添って、東側に敦賀と塩津を結ぶ塩津道(現国道8号)が通っている。この城は、このような天然の要害地形に、街道を押さえる要所の地に立地している。 縄張りは、殿谷と呼ばれる地形を巧みに活かして、丘陵に挟まれて館があり、その背後の丘陵上が城砦になっている「殿谷型縄張り」そのものとされる。「殿谷」は、県下および関東に特有の地名のようで、関東は武蔵・熊谷から来任した熊谷氏に関わりが感じられる。 城域には5箇所の頂部があり、それぞれのピークを砦とし、ピークの削平地に続き輪郭式に2重3重の段郭を配している。各城砦は、丘陵続きは堀切で遮断され、或いは谷が介在し、それぞれの連携性は乏しいように思われる。その頂部に挟まれた谷が館跡とされるが、農耕地や小学校の分校に利用され改変を受けているようである。 この輪郭式の縄張り構造は、壷笠山城(大津市坂本穴太町)に酷似しており、更に、通路のコーナーや虎口に石段や石積が使われているのも同じである。 |
◆ 道 案 内 |
国道8号の木之本IC口交差点から西に国道8号を9.7km程道なりに行った集福寺バス停の左手側丘陵上が城跡である。大川に架かる橋を渡り目の前が館跡で、両側の丘陵上に城砦跡がある。なお、右手に折れJR北陸線のボックスを抜けると集福寺集落、下塩津神社へ通じている。 |
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