No25201−14 壺笠山城 (つぼかさやまじょう)       

帯郭の石垣 主郭虎口の石段

城郭の概要                  
西側の帯郭
別  名 :
所在地 : 大津市坂本町字比叡山
築城年 : 元亀元年(1570)
形  式 : 山城(標高422.2m)
遺  構 : 虎口、石積み、石段、
訪城日 : 平成22年11月6日
                       

歴   史
壺笠山城は、元亀元年(1570)に織田信長と浅井・朝倉連合軍が「志賀の陣」で戦ったときに、連合軍側が立て籠もった比叡山中の山城(陣城)の一つである。
元亀元年(1570)4月信長は、上洛の命に従わない越前の朝倉義景を攻めたが、江北の小谷城主浅井長政に背後を衝かれ、慌てて京都へ逃げ帰った。信長はいったん岐阜城へ帰陣、体勢を立て直すこととし、そこで同年5月宇佐山城に森可成、永原城に佐久間信盛、長光寺城に柴田勝家、安土城に中川清秀らを配置して江南の守りを固めた。
亀元年(1570)6月28日の姉川合戦で浅井・朝倉連合軍は決定的な打撃は受けておらず、大坂本願寺と手を結び、湖西路を南下し、同年9月16日坂本に布陣した。9月20日宇佐山城主森可成と近江にいた野府城主織田信治、青地城主青地茂綱らと坂本口で激突、三人を討ち取り、宇佐山城に攻め上がり、さらに21日逢坂峠を越えて醍醐、山科を放火するなど、入洛の機会をうかがった。
摂津で三好三人衆と戦っていた信長はこの報せを聞き、21日急きょ明智光秀を帰洛させ二条城を守らせ、自身も23日に摂津の陣を引き払い京に戻り、翌24日洛東の白川から滋賀穴太口に布陣、信長は宇佐山城に入り対峙した。一方、浅井・朝倉軍は、比叡山延暦寺の後方支援を受け比叡山に登り、「はちが峯」「あほ山」「つぼ笠山」に陣取り、洛外の各所を放火し入洛する姿勢を示した。
その後、2ヶ月間に亘り両軍の睨み合いが続き、戦線は膠着状態に陥った。
しかし、三好三人衆はしだいに京都に進攻し、また近江では一向一揆の動きが活発化し、六角氏もゲリラ戦を展開しており、信長は志賀での長滞陣は不利と考え、和睦工作を行った。11月21日に六角承禎、三好三人衆の篠原長房との和議がととのった。浅井・朝倉との和議も朝廷、幕府の仲介ですすめられ、勅使や将軍義昭が志賀に下って調停を行い、12月14日に雪を心配した義景が和睦に応じ、12月23日には長政との和議もなった。
この和議により12月14日信長は「陣払い小屋悉く放火」して永原城に退き、15日には朝倉義景も「青山以下小屋悉く陣払い放火」して越前に帰ったとされる。
その後、信長は明智光秀を宇佐山城に入れ、湖西の土豪たちを懐柔させ延暦寺との間を分断、元亀2年(1571)9月12日延暦寺を焼き打にした。元亀3年(1572)光秀は坂本の地に坂本城を築き、志賀郡5万石を支配した。

構造と感想

「志賀の陣」における浅井・朝倉軍の陣所のうち位置が確かなのは壺笠山城のみである。壺笠山は、滋賀穴太から比叡山を経て京都へ通じる「白鳥越」を押さえる要衝に位置し、壺笠山城はその山頂部に築かれている。
山頂に元々あった近江最古級の前方後円墳を改造し築造されたのもで、標高422.2mの山頂部には東西約31m、南北約35mの円形の主郭を配し、その周囲には幅3〜5mの帯郭を巡らせる輪郭式縄張りの山城である。主郭には、北西と北東の二ヶ所に石段が残存する虎口があり、北東のものは一折れして主郭に入る。帯郭の周囲には、石積みが残り、南西側は1mの高さがある。山頂部の三方は急斜面となっており、西側にのみ尾根が伸び、その北端を城道が走り、南側には5段の段郭が構築されている。なお、城道は鞍部で白鳥越えに合流している。
このように壺笠山城は、陣城でありながら、随所に石積みの遺構が残されており、織田と浅井・朝倉の和睦後、宇佐山城に入った明智光秀が修築した可能性が指摘されている。
しかし、浅井・朝倉軍は3万とも云われいるが、あほ山やつぼ笠山、それに隣接する白鳥山も大軍が滞陣するには余りにも狭小であり、はちが峯が何処なのか確定が待たれる。


道 案 内
西大津バイパス南滋賀ランプを下りて東に510m程行った県道47号線の高砂東交差点を左折し、北に2.2km程行った(京阪電車穴太駅を270m程越えた地点)T字路で左折して急な登りの細道に入る。西に細道を進むと平子谷墓地が広がっている。一番奥まで行き右側の駐車場に駐車する。
林道が奥まで続いているが少し行くとチェーンが張ってあり、車両は通行止になっているので、駐車場から徒歩で四ツ谷川沿いの林道を1.3km程行き四ツ谷川を渡る。川を渡ってさらに250m程行くと左手に戻るように上りの林道が分岐している。この分岐した林道を110m程登ると峠で20m程先の右手山裾にある登り口の目印テープ等を探す。目印のある所から山道に入り、南西に170m程登ると尾根に出る。左手東方向に尾根筋を100m程辿れば壺笠山城跡に至る。(なお、右手西方向に尾根筋を200m程登れば白鳥山(城跡)である。)

TOPへ 戻る