No25203−18 福勝寺城 (ふくしょうじじょう)       

堀跡 土塁

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 長浜市大戌亥町
築城年 : 神亀元年(724)
形  式 : 寺院城郭
遺  構 : 水堀、土塁、見張り台、
訪城日 : 平成24年9月29日

歴   史
福勝寺は、神亀元年(724)の開基とされ、弘長年間(1261〜64)に輪宗改宗、戦国時代には湖北十ケ寺の一寺となった寺である。
元亀争乱では、織田信長と近江の諸勢力(浅井氏や六角氏、延暦寺や一向一揆の宗教勢力)が戦った。この時期、大坂本願寺の檄文を受けて、一向一揆が各地で信長と激しい戦いを繰り広げ、近江の一向一揆は、湖南では金森三宅(守山市)が、湖北では福勝寺などの湖北十ヶ寺がその中心となった。
一向宗による箕浦城攻めの際、この寺には3,200人が結集したと伝えられ、浅井氏の残党とともに出撃し戦ったが、信長勢に琵琶湖岸に追い詰められ壊滅したとされる。

構造と感想
福勝寺城は、現在でも浄土真宗本願寺派の寺院で、戦国期には一向一揆の拠点として城塞化したとされ、水堀が二重に廻る堅固な構造であった。外堀、内堀、土塁、見張り台などの遺構が残っており、また、お寺へと至る参道は、鍵状に曲がり矢通しの機能を備えている。
南面の山門、塀、内堀は、往時の城塞化した姿を彷彿させるに十分である。

道 案 内
県道37号線の長浜IC交差点から西に990m程行った川崎町交差点で左折し、国道8号に入る。南に2.6km程進んだ市立長浜病院手前の大戌亥町交差点を右折し、西に440m程行き左折する。南に50m程入ると児童公園があり、その南側が福勝寺である。付近に路駐し、寺の東側を通り表側(南側)に回り込む。

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