No25483-10 脇坂屋敷 (わきざかやしき)       

屋敷跡 安治産湯の池

城郭の概要
別  名 : 脇坂氏舘跡
所在地 : 東浅井郡湖北町丁野
築城年 : 室町期 
形  式 : 平城(居舘)
遺  構 : 池
訪城日 : 平成22年5月16日

歴   史

京極氏や浅井氏の家臣であった脇坂氏の舘跡である。脇坂宮左衛門安守、左近兵衛、久左衛門、左介、甚七郎などの名前が記録に残る。
脇坂甚内安治は、天文23年(1554)に田付孫左衛門の子として生まれた。その後、浅井長政家臣の脇坂安明の養子となる。
安明は、永禄11年(1568)の観音寺城攻めの戦いで討死し、安治は羽柴秀吉に仕えるようになり、浅井・朝倉との戦に従軍し奮戦している。賎ケ岳合戦においては、一番槍の功名を立て、七本槍の一人に数えられた。
関が原の戦いでは、途中より東軍に属し、伊予大洲5万3千石を賜り、寛永3年(1626)に73歳で没し、3代目安政が播州龍野へ移封となり、龍野藩の脇坂家は明治維新まで続いた。


構造と感想
山裾に一段高くなった平坦地があり、脇坂屋敷跡の碑や説明板が設置され、産湯の池が残る。
しかし、舘城の遺構らしきものは、全く見当たらない。

道 案 内
 (屋敷跡の碑
県道37号線の長浜IC口交差点を西に330m程行った山階町東交差点を右折し、北に県道510号を道なりに6.5km程行くと国道365号の郡上南交差点に出る。その交差点を左折し国道365号に入り1.5km程北に行くと丁野交差点で、その先310m程行くと右手に「脇坂屋敷」の案内板あるので、そこを右折し細い道を山裾の突き当たりまで進むと屋敷跡である。
                           

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