No25204−12 小田城 (おだじょう)       

たかはたけ一帯 愛宕神社

城郭の概要                  
別  名 : 高畠氏館
所在地 : 近江八幡市小田町
築城年 :
形  式 : 平城(館城)
遺  構 : 
訪城日 : 平成22年8月15日

歴   史
小田城は高畠氏の居城であり、戦国期には高畠源兵衛が居城し、その娘鍋が織田信長の側室になったことで知られる。
鍋は高野城主・小倉右京亮実房に嫁ぎ、夫・右京亮は六角義賢(承禎)の家臣であったが、永禄2年(1559)京都から帰途につく織田信長を八風街道越えで伊賀に抜ける手引きをしたことを理由に六角承禎の怒りを買い、六角氏の命を受けた日野城主・蒲生定秀に攻められ殺されてしまい、鍋は2人の子供を抱え小田に住む姉の家に身を寄せたと云われている。その後、鍋は信長の側室となり、その後を岐阜で暮らすこととなった。また、信長の死後は秀吉の正室北政所の侍女になったとされる。

構造と感想
お鍋塚、古墳跡か
小田城は、周囲に土塁と堀を巡らして、東面と西面に門を開き石橋を渡した屋敷絵図が残るようだが、現在は屋敷跡とされる愛宕神社の南側一帯は民家に囲まれたL字の水田となっている。この辺りが「たかはたけ」と呼ばれ屋敷址との事であるが、遺構らしきものは水路が巡る程度で他には何も残っていない。
なお、東100m程の所にお鍋の屋敷跡との伝承が残る塚がある。
                

道 案 内
名神高速道竜王インターを下りて国道477号を北に4.2km程行った西横関交差点で右折し国道8号線に入る。国道8号を1.3km程北東に進んだ東川交差点(日野川を渡った次の交差点)で左折して県道326号線に入り、北西に道なりに3.9km程行った小舟木町交差点で左折する。県道2号線に入り南南西に3.0km程行った十王町交差点で右折し、北西に760m程行くと左手が小田神社、右手が小田町自治会館でその付近に駐車出来る。
城跡は小田町自治会館の西側を右に折れ、30m先で左に折れた突き当たりが城跡である。

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