No25484-1 安養寺舘 (あんようじやかた)       

西側の土塁と堀 神社の正面

城郭の概要
別  名 : 安養寺城
所在地 : 東浅井郡びわ町安養寺
築城年 : 室町期
形  式 : 平城(居舘) 
遺  構 : 土塁、堀、
訪城日 : 平成22年2月11日

歴   史
安養寺大安養(おおやすがい)神社の社地が安養寺氏の館である。
安養寺氏は、浅井氏の家臣で当地の土豪である。氏久、氏秀が当主の名として確認されている。
また、「近江温故録」に「安養寺河内守勝光代々京極家旗頭ニテ、永正中(天文元年(1532)ニモ浅見ト一処ニ山本山に立籠テ浅井に従ハズ、後扱ニテ浅井氏ニ属シ浅井三代ニ軍功ヲ立テ、息安養寺三郎左衛門姉川合戦ニ生捕ラレテ、既ニ討ルベキ時信長公助命アリテ召仕ルベキ由アリケレバ、三郎左衛門居直テ仰セハ有難候ヘドモ、御恩ニハ速ニ首ヲ刎ラレ下サレ度願奉ル云々・・・」のエピソードを残している。
同社には、戦国期、京極氏奉行人や浅井長政から当社の前身にあたる薬神社に宛てた禁制が残っている。その他、安養寺氏が寄進したと云う天文11年(1542)の木造狛犬1対(びわ町指定文化財)や同じ所伝をもつ戦国時代の六十二間筋兜鉢も保管されている。

地元では、神社が安養寺氏の城跡であると伝えている。


構造と感想
社地は、北・東・西を堀と川で今も囲まれており、西側には、低いなりにも土塁が確認できる。現状から見る限り、当地を安養寺氏の城館跡と断定するのは難しいが、その有力候補であるとされている。
主郭は、規模が約54m四方であったと推定されるが、東側が丁野川の改修で欠損している。
社殿の北と西に明瞭な堀が残されている。

道 案 内
北側の堀
国道8号の木之本IC口交差点から西(敦賀方面)に820m程行った大音交差点を左折し、県道44号線に入り南へ4km程行った菅草橋交差点で左折すると県道259号線に入る。県道259号線から252号線を南に4.3km程行った安養寺交差点を右折し、西に430m程行った南側160m程先の森が舘跡の神社である。
神社へは南側に回り込む必要があるが集落内の道は狭い。駐車は神社前に1台が辛うじてできる程度である。

TOPへ 戻る