No25202-01 物生山城 (むしやまじょう)       

西尾根の内堀切と土橋 東尾根郭の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 彦根市宮田町
築城年 : 不詳
形  式 : 山城(標高192.3m)
遺  構 : 土塁、堀切、土橋、竪堀、
訪城日 : 平成22年3月20日   

歴   史
 北尾根5段目の帯郭
ここに城跡があるとの記録は見当たらず、詳細は不明であるが、元亀元年(1570)姉川合戦で織田信長に敗れた浅井長政方が小谷城佐和山城に分かれ籠城した際、信長は小谷城に対し秀吉を配し、佐和山城に対しては、鹿垣を結ばせ、東の百々屋敷に丹羽五郎左衛門、北の山に市橋九郎右衛門、南の山に水野下野、西彦根山に河尻与兵衛を布陣させ、四方より取り詰めさせたとの記録が残る。
信長公記に記された佐和山城の付城である「北の山」が、この物生山城ではなかったかと考えられている。
しかし、建久年間(1190~99)の佐保時綱以来の長い佐和山城の歴史から、佐和山の守備の一点と考える必要も指摘されている。  

構造と感想
物生山城は、佐和山山塊の北端部に位置し、彦根市宮田町物生山の西背後の山上に築かれている。頂部に主郭を置き、南東、西、北の三方に伸びる尾根筋に各々数段の郭を配した縄張りとなっている。
主郭は、多角形状の台状地で、東と西で1.8m程の段差があり西が低く、南と北側の下方には犬走りを伴っている。主郭の西方が尾根続きとなり、3条の堀切を設け厳重に防備を固めている。内堀切と中堀切の間に10m×7mの方形状の腰郭があり、その南部は塹壕状になっている。主郭の南東少し下方には腰郭があり、そこから急激に20m程降った尾根上に微かな土塁痕の残る50m×10mの細長い郭が延びている。主郭から北に降る尾根上には、5段にわたって削平され、最下段は4.5m幅で帯状となっており、その北西端に設けたれた堀切には2本の土橋があり、土橋の間が小さな貯水池のようになっている。
現在に残る遺構からは、佐和山城側に土塁や塹壕、堀切などの施設が構えられており、信長公記に云う「北の山」の可能性が高いように思われる。

道 案 内      
 太尾山を望む
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に750m程行った外町交差点で右折する。国道8号に入り3km程北進した鳥居本町北交差点で左折、西に道なりに730m程行くと小野川に突き当たる。小野川を渡らずに右折し、川沿いを580m程北に行って左手の橋を渡る。その辺りの空き地に駐車し、橋から南に140m程戻った所に教専寺があり、この寺の南側から山に向かって真直ぐ登り、途中の岩神様の背後を左方向に尾根筋を進むと城跡に至る。
                

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