No25367−08 No25367−09
多羅尾砦 山口館
(たらおとりで) (やまぐちやかた)

多羅尾砦 虎口 山口館 下段の腰巻石垣

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 信楽町多羅尾字千茗ヶ谷、和泉垣外 所在地 : 信楽町下朝宮字西堂坊
築城年 : 築城年 : 江戸時代
形  式 : 丘城 形  式 : 陣屋
遺  構 : 土塁、虎口、井戸 遺  構 : 空堀、切岸、腰巻石垣、
訪城日 : 平成23年10月9日 訪城日 : 平成23年10月9日

歴   史

・・・・多羅尾砦・・・・の城主は不明であるが、多羅尾氏に関係した城館と考えられている。
・・・・山口館・・・・は、多羅尾氏と親族である旗本山口氏の陣屋跡である。
天正10年(1582)光広の時、いわゆる「神君伊賀越え」に功があったとして、江戸時代に柞原下村、朝宮下村で各250石の500石余を与えられた。旗本として明治維新まで存続した。


構造と感想
・・・・多羅尾砦・・・・は、信楽町多羅尾のうち、上出集落の南方、南から北にのびた丘陵の先端に築かれている。丘陵上を南北に50m程削平し、東面の南隅に虎口が開口し、その北に12m程土塁を掘り残しいる。丘陵先端部に二段の郭を付帯している。西側20m程下方の谷筋に水場が設けられている。
・・・・山口館・・・・は、信楽町下朝宮集落の北、経塚山の山麓に位置している。
遺構は、山麓部を削り込んで台地とし造成した25m四方の区画を設け山側以外の三方を切岸とし、裾部に高さ1〜2mの石垣を積み補強している。北西側には巾7mの谷状地形が認められ空堀跡とされる。陣屋の周辺には、山口氏の菩提寺である徳源寺や寛永11年(1634)に光正が社殿を創建した八坂神社が現存し、陣屋を中心に形成された集落形態が今も窺える。

道 案 内
・・・・多羅尾砦・・・・は、新名神高速道路を下りた信楽IC交差点を右折し、国道307号を南に向かう。道なりに6.5km程行った長野交差点を右手に曲がり、さらに国道307号を3.4km程行った中野交差点で左折する。市道を南東方向に道なりに1.6km程行ったT字路で右折し、県道138号線に入る。県道138号線を道なりに4.9km程行った交差点で右に緩やかにカーブする県道334号線に入り、大戸川の橋を渡る。県道334号線を500m程南下し再び大戸川の橋を渡ってそこから160m程行き左折する。南に道なりに430m程入るとバス停があり、その付近のスペースに駐車。バス停南のY字路を右手に入り110m程歩き、左手の川を東側へ渡る。畦道を南に100m程行き、左手の丘陵裾に向かい北西方向の谷筋を上ると砦跡に至る。
・・・・山口館・・・・は、新名神高速道路を下りた信楽IC交差点を右折し、国道307号を南に向かう。道なりに6.5km程行った長野交差点を右手に曲がり、ここから国道307号を8.6km程道なりに進むと左手に八坂神社がある。その210m先の十字路で右折し細い道に入り50m程行った左手奥の台地が陣屋跡である。

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多羅尾砦 南東隅の土塁 山口館 南西面