No25423−07 安孫子城 (あびこじょう)       

南城の城址碑 南城の北面

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 秦荘町安孫子
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : ー
訪城日 : 平成24年8月25日

歴   史
「近江愛智郡志」に安孫子氏が在館した所とある。「金剛輪寺下用帳」に安孫子日向守、右馬允、又六等の名が見え、安孫子日向守は天正年間(1573〜93)の人とされる。
安孫子氏は、平安時代の末頃にいわゆる開発領主として土着し、領主制を展開したとされ、『今昔物語集』で著名な矢取地蔵の門前を守護した一族である。

構造と感想
安孫子城は、滋賀県城郭分布調査報告書で南城と北城があったとされる。
南城は、安我孫子集落北端にある「あびこ城址広場」に所在していた。昭和60年(1985)に広場が造成され、東面に約80mに亘って残っていたかなりの高さをもった土塁とそれを取り巻いていた堀が破壊されている。土塁は南端で西に直角に折れており、付近の地割とも合わせて、正方形の郭であったと想定されている。虎口は、西面のやや南寄りに開口していたとされる。この範囲は、小字「城」にあたっている。
北城は、南城の北西250m程の所に位置しており、明治6年(1873)の東出村地券取調総絵図に北から西にかけて曲尺状の堀が記されている。この堀も80m前後の延長があり、南城と同規模であたと見られている。北城は、城の北側から西側を流れる岩倉川を外堀とし、中井戸川を内堀とし、城内には大きな庭もあったようであるが、現在は店舗敷地となり城が存在した痕跡すらない。
比較的大きな河川を直角に屈曲させて堀として利用する手法は、湖東地方の国人領主がよく使った築城法で、近隣の目賀田城や島川城にも見られる。

道 案 内
名神高速道路を出た原町交差点を左折して国道306号に入る。国道306号を南東に3km程行った中川原交差点で右折し、県道330号線に入り、南に1.4km程直進した突き当たりのT字路で右折する。県道224号線に入り、西に440m程行った土田南交差点で左折する。また、県道330号線となり南に3.3km程行くと甲良町役場前交差点に至り、同交差点を直進し県道13号線に入る。県道13号線を南に2.8km程行った東出交差点の手前の左手「リカーマウンテン」一帯が北城跡である。
南城は、東出交差点を左折し、県道220号線に入り、東に190m程行ったバス停前の路地へ右折する。そこから南進すること160m程で左折し、突き当たった「あびこ城址広場」が城跡である。

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