No25401−10 石谷城 (いしだにじょう)       

中心部の南東方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 神崎郡永源寺町石谷
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 :
訪城日 : 平成25年6月9日

歴   史
築城年代は不明である。
城主については、淡海温故録は「石谷村、倉垣二郎兵衛ト云フ此処ノ領主アリ」と記され、大洞弁天当国古城主名札には城主として倉垣次郎兵衛を、江州佐々木南北諸士帳には倉垣次兵衛を挙げているが、これは中世末の領主であって平安初期以来の様子は殆ど不明とされる。
なお、倉垣氏については、室町時代の最終期、元亀元年(1570)と同2年に六角義治から倉垣勘八郎に宛てた、信長の退路遮断を賞する感状や忠誠を賞する感状が残っている。
しかし、天正元年(1573)の朝倉、浅井氏の滅亡、六角氏の籠る鯰江城の落城により、石谷城も廃城となり、倉垣氏は帰農したと考えられている。

構造と感想
城跡は、旧八日市市瓜生津町の東端、旧永源寺町石谷の西端にあり、両集落を合わせて見るとその中央部となる所に位置した。
明治初期の石谷村地誌に「大薮と呼称した所に土塁や堀、井戸などの遺構が残っていた」、近江蒲生郡志八には二重の防御を施した測量図を載せるが、遺構は消失し詳細は不明である と記されている。しかし、宅地化が進み、城跡は痕跡も留めていない。

道 案 内
名神高速道八日市インターを下りて国道421号を東の永源寺方面に進み、2.4km程行った国道307号との(御園)交差点を右折し国道307号に入る。南に1.2km程行った瓜生津町交差点を左折し県道170号に入る。東に190m程行った十字路右手奥が城跡である。

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