No25464−13 | 宇賀野館 | (うかのやかた) |
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宇賀野会館の城址碑 | 長野家 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 近江町宇賀野 |
築城年 : |
形 式 : 居館 |
遺 構 : 土塁、堀跡 |
訪城日 : 平成23年12月3日 |
◆ 歴 史 | ![]() 法秀院の墓 |
この地を支配した京極氏六代高秀の子の高雅を祖とする宇賀野氏の館跡と思われ、現在の小字「親方」は、御館の名残りと推測されている。 この地域内にある長野家は、戦国武将で知られる山内一豊と母法秀院が一時身を寄せたところで、一豊と妻千代の出会いの舞台とされている。 なお、長野家は、永禄2年(1559)に岩倉織田家の岩倉城が織田信長に攻められ落城し、岩倉織田家の家老であった山内盛豊が討死したため、幼い山内一豊と母は流浪し、知人の紹介で永禄3年(1560)宇賀野の長野家に匿われた。一豊の母・法秀院は、死ぬまで宇賀野に住したと伝えられ、墓が残っている。 |
◆ 構造と感想 |
宇賀野館は、JR北陸線で東西に二分された西の宇賀野地区にあったと考えられている。小字木戸より流れる水路が宇賀野会館の北西側で北と西の二手に分かれ、北西方向で直交している。この水路で囲まれた通称「西屋敷」が館跡とされ、現在は北西の一角に宇賀野氏の末裔の木村家がある。また、南東には長野家が在り、屋敷地の南東部に水路がめぐり、土塁の一部も残存している。この長野家の南側の水田が小字「親方」である。 なお、主家滅亡により流浪する身となった山内一豊の母・法秀院が身を寄せたのがこの長野家である。 2006年に放送されたNHK大河ドラマ「功名が辻」効果で、当時はこの宇賀野にも大勢の観光客で賑わったが、今は静寂を取り戻しひっそりとしている。 |
◆ 道 案 内 |
国道21号米原IC口交差点を西に2.2km程行った西円寺交差点で右折し、国道8号に入り北に1.5km程行った顔戸交差点で左折する。西に900m程行った踏切を渡った右手側に城址碑がある。 城跡は、その北西の一帯である。 |
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