No25202-09 荒神山城 (こうじんやまじょう)       

円墳部の下部石積み 奥山寺遺構の段郭

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 彦根市清崎町
築城年 : 不詳
形  式 : 山城(標高278.0m)
遺  構 : 石積み、竪土塁、竪堀、
訪城日 : 平成22年5月9日   

歴   史
荒神山神社の由緒書きによれば、天智天皇の時代に、犬上、愛知、神前、蒲生四郡の祓殿及び御祈所と定められ、奈良時代には行基が奧山寺を開山し神社と寺院が同居していたが、明治初年(1868)の神仏分離に伴い、寺が廃寺となり荒神山神社に改められた。
奥山寺は天台宗寺院であったため、織田信長による比叡山焼討ちの際には、この寺も焼き払われたとある。また、関ヶ原合戦後に井伊直政が佐和山城に封ぜられ、築城を計画した際にこの山も候補地となったが、最終的には金亀山(彦根山)に築城された。
荒神山城の築城年代は定かでないが、観音寺城主・六角氏の重臣・日夏氏累代の居城で日夏安芸守が荒神山上に城を築いたとされる。
なお、天文4年(1535) 京極高延・浅井亮政の犬上郡侵入を憤り、六角定頼は江北侵攻のため荒神山に陣を置き、佐和山城を落とし近辺の平野舘等を放火したとの記録が残る。

構造と感想 方墳の北切岸
荒神山城は、宇曽川の左岸、標高282mの荒神山山頂付近に築かれた山城である。この山には、他に山頂から派生する北の尾根に日夏城が、南西の尾根に山脇古城山城が築かれている。さらに、南東約1kmにある独立丘陵上には山崎山城が築かれている。荒神山城や日夏城、山崎山城は、街道や湖上の交通を監視する役目を担っていたものと思われる。
城跡は、神社の直ぐ北側の東斜面に犬走りと縦土塁を伴う数段の段郭が認められるのと神社から北方に尾根を100mほど歩いた所に前方後円墳が築かれており、その古墳上を削平し、古墳接合部東斜面に二段の段郭を配し、虎口部には石積みも残る。
山頂まで林道がつけられており、山頂の荒神山神社に駐車場もあり、訪城は容易である。神社の表側と裏側に見事な石垣を観ることが出来るが、この石垣は城とは無関係のようである。

道 案 内       方墳の削平
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に750m程行った外町交差点で左折する。国道8号に入り7.2km程南に進み安食西交差点で右折し、県道205号線に入る。県道205号線を西に2.3km程進み宇曽川を渡って直ぐを右折し、宇曽川沿いを1.2km程行った右手に荒神山神社に登る林道入口(墓地の手前)がある。林道を2.8km程登ると荒神山神社に至る。
神社の西側裏手を北に5分程行った荒神山古墳が城跡である。また、神社の北側(山道の右手)に奥山寺の遺構が残る。

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