No25365−21 No25365−22
高野東城 補陀楽寺城
(たかのひがしじょう) (ほだらくじじょう)

高野東城 北西部の土塁 補陀楽寺城 南東面の土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町高野字山出 所在地 : 甲賀町大原市場字中野
築城年 : 室町時代 築城年 : 室町時代
形  式 : 丘城 形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀、堀切、 遺  構 : 土塁、
訪城日 : 平成25年3月8日 訪城日 : 平成

歴   史

・・・・高野東城・・・・は、甲賀の高野地区を所領としてきた土豪である高野氏の城と考えられているが、詳細は不明である。
・・・・補陀楽寺城・・・・は、城歴等の詳細は不明であるが、平成7年の発掘調査で信楽焼の擂鉢や甕が出土し、遺構は中世後半から近世に至るものとされる。さらに、土塁下層の溝から16世紀後半の遺物が出土しており、土塁の構築はこの頃と見られ、それ以前は溝で区画されていた。


構造と感想
・・・・高野東城・・・・は、甲賀町高野のうち寺井集落北方、集落から約30m高い丘陵先端部に築かれている。主郭は、南面を除く三方を土塁に囲繞された東西約40m、南北約40mの南東側が張出した逆L字状を呈している。土塁の規模は、東面が約4m、北面が約3m、西面が約2mで、北東隅に階段と四阿が設けられ開口している。開口の外、北東に尾根続きとなるが堀切などの遺構は見られなうが、開口部両袖の土塁が分厚く高くなっていることから、元は櫓台で堀切も設けられていたのではないか。
主郭西側の先端部に一段下がった東西約30m、南北約20mの平坦地が見られ、主郭南側の下方にも丘陵地形の制約を受け湾曲した平坦地があるが、山麓に近く城郭遺構ではないと見られている。
北東にのびる尾根は、東に向きを変え、更に南に向きを変え、主郭東面の土塁を含め、馬蹄形を呈し、三方から谷間の25m四方の郭を取り囲んでいる。谷間の郭と主郭の間に二段築成の帯郭と横堀が設けられている。この部分を城郭遺構とすると甲賀の城館には珍しい縄張りである。
・・・・補陀楽寺城・・・・は、甲賀町大原市場の西方に位置し、北東面と東南面に土塁が残る平地城館である。北西隅にも土塁が残存していたが、土地区画整備事業で消滅した。これらは地籍図からも確認でき、城域は半町(約50m)四方の方形館で、北東面の土塁は高さ2.5m、長さ約30m、南東面で高さ2.0m、長さ約20mが残存するが、土塁の外側に堀の痕跡はない。現在、東隅に開口するが、近年に改変されたもので、本来は杣街道に直交する道が残る南西面に虎口があったと想定されるている。しかし、現在はJR草津線で破壊されており、発掘等による解明は困難である。

道 案 内
・・・・高野東城・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し、360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線を道なりに2.6km程行くと右手側に高野集会所があり、それを越えた所で左折する。北に85m程行き最初の十字路を右折し、東に170m程入った十字路で左折する。北に70m程入ると溜池で、その手前右手の住宅東側から参道を登ると城跡である。
・・・・補陀楽寺城・・・・は、県道134号線の野尻交差点から県道4号線に入り、道なりに3.4km程走った所(甲賀駅西交差点の一つ手前)で右折する。南西に40m弱入った十字路で右折、北西に40m程行った左手が城跡である。

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高野東城 東側の横堀 補陀楽寺城 正面 
高野東城 主郭土塁と北東尾根 補陀楽寺城 北東面の土塁
高野東城 登り口