No25401−16 山田城 (やまだじょう)       

西側の切岸 肥後坂

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 神崎郡永源寺町山上
築城年 : 室町期
形  式 : 丘城(標高210m)
遺  構 : 切岸、
訪城日 : 平成25年6月9日

歴   史
山田城は、室町時代に山上城主小倉氏によって築かれた。小倉氏は、小掠荘・柿御園荘に勢力をもっていたが、応仁の乱後に山上城を拠点とし、出城の山田城や八尾城を築いた。 

構造と感想
山田城は、愛知川本流と和南川の合流点に向かって北北西に伸びる丘陵の先端部に築かれた丘城で、北東面は愛知川に、西面は和南川に向かって急激に20m程落ち込み、背後の南側は120mの比高を持つ山地となる台地状地形を呈している。
現在は、山上小学校の敷地となり遺構は何も残っていないが、県道188号線から小学校へ登る「肥後坂」(旧小学校敷地東側)や西側の切岸に城跡の雰囲気を残している。

道 案 内
名神高速道八日市インターを下りて国道421号を東の永源寺方面に進み、2.4km程行った国道307号との御園交差点を直進、更に国道421号を5.3km程東進すると山上小学校前交差点に至る。その交差点を左折して35m程で右折し細い坂道に入る。これが肥後坂で登り切った所が城跡である。。

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