No25365−39 No25365−40
龍泉寺城 岡崎城
(りゅうせんじじょう) (おかざきじょう)

龍泉寺城 西面土塁 岡崎城 郭面と土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町上野字護摩田 所在地 : 甲賀町油日字高畑・岡崎
築城年 : 室町時代 築城年 : 室町期
形  式 : 平城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁 遺  構 : 土塁、虎口
訪城日 : 平成25年3月16日 訪城日 : 平成25年3月9日

歴   史

・・・・龍泉寺城・・・・は、上野同名中を構成する土豪層の城館として機能していたことが知られる。
現在、臨済宗永源寺派の寺院である龍泉寺が建っており、寺伝によると天正年間(1573〜92)に甲賀二十一家の一つである上野四郎景光が居館を草庵として寺院化し、景光庵と名付けとある。
・・・・岡崎城・・・・は、地元で城跡との認識がなく、詳細は不明であるが、この地を領有した上野氏の城郭か。


構造と感想
・・・・龍泉寺城・・・・は、甲賀町上野集落の北方、中川を背に南側にある龍泉寺境内が城跡である。現在は西側に土塁の一部が残るのみであるが、かつては寺の三方に土塁と堀がめぐっていたと云われる。現存する土塁は、巾が1〜2m、高さが1〜2で、東西30m、南北25mが境内地になっているいが、南側が改変されおり本来の規模は判然としていない。
周囲には城郭遺構は確認されておらず、集落からやや遊離した単郭の城館として立地していたようである。
龍泉寺城の南東100mに木内城、北西300mに北上野城Bがあり、当城の周辺には上野同名中を構成する土豪層の城館が点在している。
・・・・岡崎城・・・・は、甲賀町油日のうち岡崎集落の北、油日神社の西方に東西にのびる丘陵の西端に立地し、甲賀では一般的な単郭の縄張りを持つ城である。
岡崎城は、100m西隣にある前山城と異なり、地元では城郭と認識されておらず、甲賀市史第七巻(甲賀の城)の発刊に伴う調査で初めて存在が確認された遺構である。聞き取りでは、農耕に利用されておらず、築城時の削平面とされ、南向きの丘陵を削り込み、東、北、西面に内側を急角度で、外側を緩斜面に削り残した分厚く高い土塁を残し、南面にも低い土塁を設けている。東面の土塁は、郭面より南側に大きく張り出しており、土塁南端を北から回り込んで南東隅の虎口に至る複雑な城道が設定されている。

道 案 内
・・・・龍泉寺城・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線に入り、南東に道なりに5.1km程行った田堵野西交差点を左折する。上野集落を北に迂回するバイパスに入り、760m程行った十字路の50m程先で左の小道に入る。小道を130m程進むと左手奥に龍泉寺がある。駐車場は門前にある。
・・・・岡崎城・・・・は、県道4号線の田堵野西交差点で北に折れ、上野集落を北に迂回するバイパスに入り1.1km程行った油日交差点で左折し、県道131号線に入る。県道131号線を550m程東進して左折する。丘陵の西端に回り込み、下車して北斜面の裾沿いを東に行き谷から鞍部へ取り付くが、道はなく直登である。

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龍泉寺城 正面南側 岡崎城 土塁の北斜面