犬上川の扇状地が多賀町大字楢崎あたりで、南北から張り出した尾根で狭くなり、湖東平野への西の出口を形成している。その狭隘な要衝の地を扼するように南の尾根上に勝楽寺城が、北の尾根上に籠城山城(どんじょ山、道場山)が築かれていた。
北側の尾根上に位置する籠城山城は、土塁の廻る主郭とその南東方向に延びる削平地とからなっている。主郭は東西42m、南北18mで中央南側に櫓台、北西に茀土塁を伴う明瞭な虎口、土塁には横矢折れなどが認められ、さらに内部は土塁や段築が設けられ三つに仕切られている。南東に延びる削平地は35m×10mで先端部に大きな露岩が点在している。周囲には犬走が廻っている。
伝承では宗門衆の城とされるが、遺構は武家のものとされる城郭遺構である。