No25421-05 | 井元城 | (いもとじょう) |
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北側の土塁と空堀 | 馬出し |
◆ 城郭の概要 | ![]() 滋賀県文化財学習シートより |
別 名 : | |
所在地 : 愛東町妹 | |
築城年 : 元亀4年(1573) | |
形 式 : 平城(河岸段丘上) | |
遺 構 : 切岸(断崖)、土塁、重ね馬出し、空堀、 | |
訪城日 : 平成21年11月23日 |
◆ 歴 史 |
井元城と仮称されるこの城に関する文献も伝承も一切残っておらず、滋賀県の実施した中世城郭分布調査により発見された城跡である。 しかし、重ね馬出しを設けた縄張りや鯰江城との距離などから「信長公記」に記された元亀4年(1573)4月に鯰江貞景の鯰江城に六角義賢(承禎)・義治父子が旧臣らと共に立て籠もった際、織田信長が佐久間信盛・蒲生氏郷・丹羽長秀・柴田勝家に命じ、四方より取詰め付城を構えさせているが、その付城の一つがこの井元城と考えられている。 なお、鯰江城は天正元年(1573)9月に落城させられている。 |
◆ 構造と感想 | ![]() 馬出しから主郭を望む |
城の構造は、一辺30mの方形単郭で断崖側を除く三方を土塁で囲み、その外側に横堀を廻らせている。東側の虎口前には「コ」の字形に土塁と堀をめぐらせた角馬出が設けられ、さらに北側こもう1つ角馬出しが付けられ「重ね馬出し」と呼ばれる縄張りになっている。この虎口構造は、全国的にも極めて数少ない事例とされる。 虎口の東外方に150m×30mの土塁と空堀に囲繞された区画が設けられ、兵士の駐屯スペースと考えられ、また、土塁と堀の土層断面から構築方法は単純で、急造されており臨時的な陣城の可能性が強いと考えられている。 複雑な虎口構造を備える割には、施設規模は品弱で、強固さの感じられない遺構である。 |
◆ 道 案 内 |
名神八日市ICを出た国道421号の八日市IC交差点を東に2.4km程行った御園交差点を左折する。国道307号に入り北に道なりに1.7km程行った妹南交差点を左折する。県道217号線に入り西に100m行った右手の春日神社背後の断崖上一帯が城跡である。 |
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