No25504−02 塩津城山城 (しおつしろやまじょう)       

箱堀 主郭の土塁

城郭の概要                  
別  名 : 塩津城
所在地 : 西浅井町塩津浜
築城年 :
形  式 : 平山城(標高108.5m)
遺  構 : 土塁、堀、堀切、
訪城日 : 平成25年10月13日

歴   史
関東・武蔵の熊谷から地頭として永仁の頃に補任してきた熊谷氏の居城と云われるが、城歴の詳細は不明である。
この熊谷氏は、熊谷直実の兄直正系の支流で、直正より五代目の直朝の時に「江州塩津熊谷衆、此筋也」と『熊谷系図』に注記されているようである。

構造と感想

段郭
琵琶湖では古代から湖上交通が盛んに利用 され、湖北三湊といわれた塩津・大浦・海津の湊が発達していた。このうち塩津と敦賀を 結ぶ深坂越えの塩津道が最も古い陸路であったと考えられており、塩津浜は水陸交通の要所の地であった。
塩津城山城は、塩津浜の集落と北隣の集落の祝山(ほおりやま)との間にあり、東から西へ突き出した尾根の先端部を掘り切って独立した山塊とし、その山上に築かれたのが塩津城山城である。
東背後の堀切は、大きく掘り下げられて塩津浜と祝山を結ぶ道路が通されている。その堀切と箱堀の間が東郭で郭内は二段に築成されている。箱堀の西側が主郭で、箱堀沿いには多聞櫓が構えられるような幅の広い土塁が築かれている。主郭の西側に急な切岸の二段の段郭が続いている。主郭と箱堀の南側と北側に跨って帯郭が設けられている。城の周囲は、急斜面の高低差の大きい切岸となっている。
登り口が何処か分からなかったので、背後堀切の南端から獣除けフェンスを越えて城跡に入ったが、城正面(西側)に作業小屋があり、その手前の作業小屋の右手奥に登り口があるようである。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から西に国道8号を6.4km程道なりに行った塩津交差点の85m手前T字路で右折する。北東に350m程山に向かって進むと右へ分岐する道があり、この道が塩津浜と祝山を結ぶ道路で200mも山沿いを南進すれば背後の堀切に至る。堀切の右手側が城跡である。

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