No25481-15 内保城 (うちぼじょう)       

南西部の土塁と郭内 東側の門

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 東浅井郡浅井町内保
築城年 : 戦国期
形  式 : 城郭寺院
遺  構 : 土塁、堀             
訪城日 : 平成22年2月13日

歴   史

天文年間頃には江北一向宗の組織化が進み、江北十ケ寺の1寺として誓願寺は一揆の指導的役割を果たしており、この頃には寺城として防備を整えたと思われ、浅井久政から要請のあった軍資金の借用や近江中郡での一揆蜂起を断るなどしているが、元亀元年(1570)三好三人衆が信長打倒を掲げ、浅井久政・長政父子が信長と離反するに及び、顕如は浅井氏の再起を望んで江北一向宗の指揮を任せたらしい。


構造と感想
集落西部の小字西出にある城郭化された寺城が誓願時で、戦国期の江北一向宗の中心寺院の一つである。寺の三方に土塁が残り、北と南の外側には川が流れている。東南部の土塁は幅7〜8m、高さ2.4mもあり保存状態が良い。南側の土塁に平虎口を設け、幅は3〜4m、高さ1m弱でかなり削られている。北西部にある庭園の築山は延長線上に位置し、土塁の一部を兼用して設けられた可能性が高い。南と西側の土塁内側には、幅1m程の堀が見られ、北側の川水が引き込まれていたらしく、一部は庭水にも利用されている。敷地の南東部にある鐘楼は四方16mの台上に建っており、その周辺には幅1mの堀も巡らされ、石垣の周辺には立石や五輪塔等も見られる。
内保は湯次保の中心をなした地域と考えられ「大安寺三綱紀」に当地に8つの僧坊を有した連乗寺があったとし、誓願時の北東の八幡神社が同寺の鎮守と伝わる。また、誓願時のある小字西出は笠屋敷・西屋敷・旧屋敷と称す孫字があり、八幡神社のある小字八幡には長泉寺・旧屋敷・城戸の名が残っており、蓮乗寺を氏寺とする在地豪族の存在が想定でき、現在の誓願寺周辺には僧坊や屋敷が建ち並んでいたらしい。
特に、南東部から南側の遺構がよく残っており、城塞化した寺院の構造を垣間見ることができる。

道 案 内
県道37号線の長浜IC口交差点を西に330m程行った山階町東交差点で右折し、北に県道510号線を道なりに3.3km程行った宮部交差点で右折する。県道273号線に入り東に380m程行ったY字路で左の旧道に進む。そこから更に東に750m程行った左側の寺が誓願寺で、城跡である。

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