No25403−08 山路城 (やまじじょう)       


城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 能登川町山路
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : ー
訪城日 : 平成25年8月4日

歴   史
『淡海木間攫』山路村の条に「山路平兵衛・山路与左衛門在城し、城跡残れり」とある。『大洞弁天当国古城主名札』には城主山路平兵衛の名が、『佐々木南北諸士帳』には山路兵衛の名が見える。『近江温故録』には、山路主馬介胤治の名があがっている。胤治は六角氏の物頭とされ、元亀元年(1570)10月に四十九院照光坊とともに観音寺城に立て籠もるが、羽柴秀吉・丹羽長秀に攻められ討死したと云われる。
山路城は、織田信長に攻められた元亀2年(1571)に山上神社とともに焼失したとされる。
なお、山上神社社殿は、文政元年(1818}9に再建され今日に至っている。

構造と感想
山路集落は、能登川町の中央に位置し、東は林・猪子・垣見の各集落に接し、西は大同川を隔てて乙女浜に接している。南と北は伊庭と躰光寺に接し一部は内湖に面している。山路城は、集落中央の東西一町、南北一町半の小字「城」が中心部であったと考えられている。城の三方は堀で囲まれていたが、現在は埋め立てられ小路となり、東側の小路は「堀」と呼ばれ、また「城前橋」の名も残っている。

道 案 内
国道8号を彦根方面から来て宇曽川を渡った次の長野北交差点を右折し、県道20号線に入る。西に3.1km程行った彦富交差点で左折し、県道2号線に入る。県道2号線を南に4km程行った猪子交差点で左折し、西に550m程いった小さな橋が「城前橋」である。その北西側が城跡である。

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