No25367−05 No25367−06
多羅尾古城 多羅尾城山城
(たらおこじょう) (たらおしろやまじょう)

多羅尾古城 東面の土塁 多羅尾城山城 西端の鋭い堀切

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 信楽町多羅尾字古城 所在地 : 信楽町多羅尾字城山、井出山
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 堀切、土塁 遺  構 : 堀切、土塁、虎口桝形
訪城日 : 平成23年10月9日 訪城日 : 平成23年10月9日

歴   史

・・・・多羅尾古城・・・・は、城歴等の詳細は不明であるが、この地を支配した多羅尾氏の城郭か。
・・・・多羅尾城山城・・・・は、城主が多羅尾氏と云われ、多羅尾集落を支配するための拠点とした城館であったと考えられている。


構造と感想
・・・・多羅尾古城・・・・は、信楽町多羅尾のうち中野集落の東側を流れる大戸川に向け、東からのびる丘陵先端部に築かれている。
構造は、東側の丘陵続きを堀切で遮断し、先端から削り込み東西35m、南北25m程の主郭を造成している。東面は掘り残しの櫓台状の土塁とし、土塁の天端は12m四方程の広さがある。主郭の南側下方には、東西40m、南北10m程の腰郭を付帯させ、麓からの城道もこの腰郭に通じていたと見られている。しかし、現在では登る道がなく、人家東側の傾斜のやや緩い所を直登するしかない。
・・・・多羅尾城山城・・・・は、信楽町多羅尾のうち浦出集落の北、多羅尾代官陣屋の北方に、西からのびた丘陵先端部に築かれている。大戸川が城の北裾を流下している。
構造は、西側の丘陵続きを両側に土塁を伴う堀切で遮断し、先端から削り込み東西30m、南北70mの主郭を造成し、さらに南側に段々に高くなる三段の平坦地を、主郭東側には段々に低くなる二段の郭を付帯させている。虎口は、主郭の北西隅に開口し、一段低い内桝形から土塁北側を回り、北西麓へと下っていたと思われる。現在は、東端から登る道が付けられている。
堀切内側の土塁は高々と聳える巨大なもので見応えがある。

道 案 内
・・・・多羅尾古城・・・・は、新名神高速道路を下りた信楽IC交差点を右折し、国道307号を南に向かう。道なりに6.5km程行った長野交差点を右手に曲がり、さらに国道307号を3.4km程行った中野交差点で左折する。市道を南東方向に道なりに1.6km程行ったT字路で右折し、県道138号線に入る。県道138号線を道なりに4.9km程行った交差点で右に緩やかにカーブする県道334号線に入り、大戸川の橋を渡る。県道334号線を500m程南下し再び大戸川の橋を渡る。渡った直ぐを左折して谷に向け入り、160m程先の左手人家の東側を通り山に向かい北西に向け藪こぎで直登すると城跡に出る。
・・・・多羅尾城山城・・・・は、上記の大戸川を再び渡った所から、そのまま県道334号線を170m程行くとT字路状の交差点があり、左折して60m程南進した右手側に登り口がある。

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多羅尾古城 東端の堀切 多羅尾城山城 西面の巨大土塁
多羅尾城山城 登り口