No25364−05 No25364−06
頓宮城 音羽野城
(とんぐうじょう) (おとわのじょう)

頓宮城 主郭 音羽野城 西側土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 土山町頓宮字城山  所在地 : 土山町瀬ノ音字上平
築城年 : 鎌倉期 築城年 : 文明年間(1470〜1486)
形  式 : 丘城  形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、空堀 遺  構 : 土塁、空堀、庭園、虎口、土橋、櫓台、
訪城日 : 平成23年5月4日 訪城日 : 平成23年5月4日

歴   史

・・・・頓宮城・・・・は、鎌倉期には頓宮牧荘の中心部であり、郷村制の成立とともに所を得て、土山における有力土豪として成長した頓宮氏の城である。
頓宮氏は、甲賀五十三家の一つに属しており、同じ甲賀武士として長亨の役(1487年)等で活躍した土山氏、黒川氏、大河原氏は、頓宮氏の一族である。長亨年間(1487〜89年)頓宮治三郎正盛の子、頓宮四方之介利盛による音羽野城への移住により、頓宮城は廃城となった。
・・・・音羽野城・・・・は、文明年間(1470〜86)に頓宮四方介利盛が音羽野村を領した後に築城し、頓宮城より移り住んだ。それ以来、頓宮氏が代々継いだが、元亀元年(1570)頓宮因幡守守孝の時、近江国守護佐々木六角氏が没落したため、織田信長に従ったが、天正13年(1585)に豊臣秀吉によって領地を没収され、改易された。


構造と感想
・・・・頓宮城・・・・は、土山町頓宮の集落を望む東光寺東側に迫る城山と呼ばれる低丘陵の尾根状先端部に築かれている。東光寺境内の南東端に建てられた城址碑の所から丘陵に向け登ると直ぐに城跡に至る。
構造は、基本的に単郭で、主郭は東西約25m、南北約20mで、西面を除く三方を土塁に囲まれた楕円形をしている。土塁は尾根続きの南東側が最も高く、外側の背後には巾約10m、高低差約5mの堀切が穿たれている。主郭の北側には、堀切の底から続く帯郭が付帯している。南側も外縁に土塁を伴った空堀状の帯郭が認められるが、現代の道で破壊されており、明瞭とは云えない。主郭の北西側には副郭と見られる一段下がった墓地が存在するが、現状の平坦面は現代の造成のようである。
この頓宮城から北西200mには頓宮池ノ谷城が所在する。舌状尾根の先端に立地し、『甲賀郡志』に殿立山と云い東西60間、南北30間余で、頓宮治三郎正盛が築き、その子四方助利盛の代に及んで青土へ移り、廃城になったとの伝承が記されている。現在では茶畑になり遺構は何も残っていない。さらに南方二町の字「城ノ前」に、東西8間、南北18間の俗に「あげとの」と呼ばれる小高地があり、その南側に「堀池」と呼ぶ堀跡のようなものがあり、頓宮氏の邸址と云い伝わると記され、これが「頓宮館」と把握されている。現在ではほ場整備で遺構は消失しているが、以前は周囲より60cm程高く一部に石垣が見られ、周囲の水路が「堀池」と呼ばれていたようである。
頓宮城と頓宮館の間に東海道から分岐し日野方面に抜ける「ひのみち」が通っており、幹線道を挟み両城は詰め城と居館の関係と考えられている。頓宮城は、眼下に野洲川流域まで展望できる山塞であったとされるが、現在も城内は綺麗に手入れされているものの、木々が妨げになり展望はきかない。
・・・・音羽野城・・・・は、野洲川にかかる現青瀬橋の南東の小高い丘上、瀬ノ音のうち東瀬ノ音集落の東方に所在している。丘上は平坦な地形が広がっており、まるで平地城館を持ってきたような城である。東西約60m、南北約70mの単郭方形で、四囲を最高高3m程の分厚い土塁で囲繞し、斜面となる北面を除き三方に上巾約15mにも及ぶ横堀をめぐらせている。虎口は東面と南面の中央付近に開口し、正面の堀には土橋が架けられている。南面虎口の西側は二重堀になり、外堀の底には仕切り土塁が二ヶ所確認され、また、南西隅の土塁が一段と高く幅広になっており、南面虎口に横矢が掛けられる、堅固な防備としている。北面の東端で土塁が北に張り出しており、これも横矢を意識した造りと見られる。
なお、南側虎口の前が削り込まれ、複雑な形状となっているが、後世の改変と見られている。東虎口の間口の南半分が窪地になっているが、城に伴うものか不明である。
郭内は、北西側がやや低くなっていて、低い部分には庭石と見られる石の散乱が見られる。
このような巨大な単郭方形の城館が、付近に集落のない山上に無理に方形を造り出すように、また、野洲川と街道を抑える位置に築かれるなど 軍事的な色合いが強い城館とされ、天正年間(1573〜92)に使用された城館と推定されている。

道 案 内
・・・・頓宮城・・・・は、国道1号と国道307号の交差部から鈴鹿峠方面に向かって7.4km程行った土山町の頓宮交差点を左折し県道41号線に入る。北に470m程先の十字路で右折し、集落に向かい180m程進むと十字路で、その十字路を左折した一番奥が東光寺である。参拝者駐車場がある。
・・・・音羽野城・・・・は、国道1号と国道307号の交差部から鈴鹿峠方面に向かって10km程行った土山町の土山支所交差点を左折し県道9号線に入る。北に道なりに2.9km程行くと、野洲川の手前40m程の所に旧道とのY字路があり、その右側に上水道青土加圧所の小さな建物がある。東側背後の丘上が城跡である。
なお、加圧所南側に林道を付ける工事中で、林道の坂を登り切った少し先の左手が城跡である。

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頓宮城 背後の堀切 音羽野城 庭園石?
音羽野城 二重堀