No25203-17 | 鳥羽上城 | (とばかみじょう) |
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大蔵 | 大蔵西側の竪堀 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 長浜市鳥羽上町、山東町菅江 |
築城年 : 室町期 |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 土塁、堀切、竪堀、 |
訪城日 : 平成24年4月1日 |
◆ 歴 史 |
詳細は、不明であるが、下記の記録が残るようである。 江南の六角氏と江北の京極氏は、元々同族であるが時が経るに従い、領地を争い衝突を繰り返すようになる。江南の六角定頼は、天文7年(1538)の春に大軍を率いて、江北・江南の境目の城である佐和山城・鎌刃城・太尾山城等を次々と陥落させ、本陣を近江町長沢まで進め、江北の南部一帯を席巻した。 これに対し、京極高延(高広)と浅井亮政の江北軍は防戦につとめ、8月4日には鳥羽上で一戦を交えている。この時、鳥羽上城は、江北方の荒尾三郎左衛門尉が城主であり、攻め手は江南軍の一翼を担った京極高慶(高延の弟で後の高吉)の兵で、激戦の末に江北軍は鳥羽上城を放棄せざるを得なかったようである。 |
◆ 構造と感想 |
鳥羽上城は、横山山系の横山城以南の南と北にある山越え道(間道)を押さえるために構築された城砦で、長さが約600mの非常に細長い構造をしている。 遺構は、7ヶ所のピークがあり、間道に近い北端の2ヶ所に土塁や犬走り、竪堀が、南端の1ヶ所に土塁や犬走り、堀切、竪堀が認められあるが、中央部分の馬塚古墳の標柱の建つ一帯やその他のピークは不明瞭な小削平地が階段状に連続する程度である。 しかし、遺構は、酷いブッシュや雑草に覆われており、ほとんど観察できない状態で、一部の道は消失しそうになっている。 |
◆ 道 案 内 |
県道37号線の長浜IC交差点から東に1.6km程行った千種口交差点で右折し、県道243号に入る。南に3.4km程進んだ本庄町交差点で左折し、県道244に入り東に道なりに2.2km程行った八幡神社の前(道の対面は池)で右折して旧道に入る。旧道を道なりに280m程登っていくと、左手に「登り口」の案内板があり、その裏手の山道を登る。付近に駐車できる。 |
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