No25365−27 No25365−28
大宝寺遺跡 大原上田城
(だいほうじいせき) (おおはらうえだじょう)

大宝寺遺跡 南虎口と通路 大原上田城 東端の堀切 

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町大原中字寺田 所在地 : 甲賀町大原上田字小山田、北垣内
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 山城 形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、城道、虎口、 遺  構 : 土塁、堀切、城道、虎口、
訪城日 : 平成25年3月9日 訪城日 : 平成25年3月9日

歴   史

・・・・大宝寺遺跡・・・・は、『甲賀郡志』に明応年間(1492〜1501)に垂井甲斐守が築いたと記されている。明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」(油日神社所蔵)の木札に「垂井殿」の名がある。
垂井氏は、甲賀五十三家に数えられた大原氏の庶流で、甲斐守である大原家村が垂井を称しているので、その一族であろうとされる。家村は盛景の孫にあたり、子に為家(源三)がいる。為家が長享年間にこの地を支配し、戦功著しく甲賀二十一家の一つに数えられている。為家の子の家親は、加津井を名乗り、勝井氏の祖となっている。
・・・・大原上田城・・・・は、大原三之助が築いた山城であるが、詳細は不明である。


構造と感想
・・・・大宝寺遺跡・・・・は、大原川の谷筋と大橋川の谷筋を分割する東西にのびた丘陵上に築かれ、鞍部を挟んで約80mの距離で東側の大原上田城と向き合っている。
構造は、東西約40m、南北約50mの長方形で、高さ約3mの土塁で四周を囲繞され、北の尾根と東西の丘陵続きに対して堀切を設けている。虎口は大原川が流れる谷筋方面を向いて西と南に開口している。西虎口は小規模な虎口受けを伴い、土塁は少し食い違っている。南虎口は斜面を切込んだ堀底状の通路が残る。堀切は、鞍部に峠道が通るため、城内で最も高低差を備える。城内は手入れされておらず、見通しが悪いが、土塁上を一周できる。
・・・・大原上田城・・・・は、大宝寺遺跡の東、鞍部を挟んで約80mの距離で向かい合っている。丘陵上を粗雑に削平した単郭の山城で自然地形を残した形状をしている。東側に城内側で約1mの高さとなる土塁を伴う浅い堀切を備え、堀切の外側は鞍部となり、ここに峠道が通っている。西側切岸下にも不明瞭な堀切が残る。
虎口は、南側のやや東寄りに開口し、東側から堀底状の城道が取り付いている。
大原上田城は、土塁の配置や虎口への通路など東側を意識した構えで、大宝寺遺跡の存在を前提に機能したと考えられている。

道 案 内
・・・・大宝寺遺跡・・・・は、新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、東に2.4km程行くと突き当たりのT字路に至る。T字路を左折し、360m程北東に行くと県道4号線の野尻交差点に出る。そこを右折し県道4号線を道なりに3.9km程行った大原市場交差点で左折する。県道24号線に入り北に570m程の相模交差点で右手斜めに進む。さらに県道24号線を道なりに910m程行くと鳥居野交差点に至る。同交差点を直進し県道129号線に入る。県道129号線を東に410程行って斜め左手に進み、東に道なりに210m程行ってディサービスセンターを越えた所で左折する。北130m程先の大原幼稚園角で右折し、幼稚園裏で駐車。大原幼稚園北西角から北に入り、突き当たりの山裾から西端の堀切へ向かい直登する。
・・・・
大原上田城・・・・
は、幼稚園裏で駐車後、東へ110m程行った突き当たりで左折する。その突き当たり奥の人家東側から山に入り、左にカーブするように登ると城跡の虎口に至る。

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大宝寺遺跡 西端の堀切 大原上田城 虎口と城道
大宝寺遺跡 南東側の土塁