No25207−07 大林城 (おおばやしじょう)       

覚明寺の鐘楼 (櫓台か?) 南側の土塁と堀跡

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 守山市大林町
築城年 : 応永年間(1394〜1427)
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀跡、
訪城日 : 平成24年4月21日

歴   史
大林には、応永34年(1427)近江守護佐々木満綱の庇下宇野久美が封ぜられ、大林城を築き、宇野伊予守親證、親人を経て行家に至るまで大林を居城にしていたと伝わる。また、八幡神社は宇野氏が源氏の祖神として崇敬した神社とされる。元亀元年(1570)8月織田信長軍の佐久間信盛に攻められ落城したとされる。
覚明寺は、聖徳太子の開基で太子真作の仏像が安置された天台寺院で、佐々木氏幕下の大林城主大林定基が大檀那であったが、織田信長による兵火で大林城の落城とともに焼失し、天正11年(1583)大林城主宇野伊予守が出家し、真宗に帰依して、旧跡に一寺を建立したとの伝えが残っている。

構造と感想
八幡神社一帯に大林城があったと推定されている。八幡神社と覚明寺の鐘楼は一段高くなっており、城館施設の一部であった可能性が指摘され、八幡神社は城館の東北隅の鬼門に祀られた神社だったとされる。また、神社の南側に「向垣内」という城郭に関連する地名が残っている。
大林城は、大林の集落全域を取り巻く水路と一部に土塁が残り、環濠集落の面影が所々に残っている。特に、南側を流れる川は堀を兼ねたと思われ、内側には今も土塁の残片が認められる。

道 案 内
八幡神社
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道8号方面に向かい1.4km程走ると国道8号に合流する。国道8号に入り北東方向に520m程先の宅屋口バス停を越えた交差点(北東側にパチンコ店がある。)を左折する。県道145号線に入り北西方向に道なりに3.8km程行った金森町西交差点で左折する。南西方向に420m程行って横江町交差点で右折し、北西方向710m程行った十字路を右折する。北東方向に120m程行ったT字路を右折し路地に入り60m程先右手が覚明寺で、その奥の竹藪が城跡である。

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