No25464-10 西円寺舘 (さいえんじやかた)       

黄檗宗西円寺の山門 西円寺北東側の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 坂田郡近江町西円寺
築城年 : 不詳
形  式 : 平城(居舘)
遺  構 : 土塁、                  
訪城日 : 平成23年1月3日 南西尾根上の今井氏墓碑

歴   史
西円寺の一帯は、京極氏根本被官であった今井氏の奥城跡で菩提寺でもある。境内の南西に張り出した舌状尾根に今井権六三代の墓が残されている。
今井氏14代今井権六秀俊は享禄元年(1528)の内保河原の戦いで六角方が敗れたため、浅井方に従ったが天文2年(1533)に浅井亮政に進退を疑われ神照寺で切腹させられた。15代今井権六備中守定清は浅井方に属し、永禄4年(1561)太尾山城の夜襲で敵と見誤った味方の槍で背後から刺されて討死し、また、子の今井権六小法師丸(秀形)は秀吉に従っていたが天正11年(1583)に伊勢にて討死し、この三代が菩提寺である西円寺に葬られたとされる。


構造と感想
南・東・西の背後を馬蹄形に山がめくり、北に開けた谷間を利用した集落奥の奇抜な山門のある黄檗宗西円寺周辺が本郭とみられている。
三段の平削地と土塁が残る京極氏、浅井氏に従った箕浦城を本拠とする今井氏の館・砦で郭や城主の墓が残されている。
背後の山も削平や馬の背状に削り出されており、砦と舘が一体化した城館であっとされる

道 案 内            
西円寺北西側の切岸
国道21号の米原IC口交差点を西に1.8km程行った交差点(国道8号との西円寺交差点の300m手前)で左折し、南に220m程進み突き当たった所で右折する。西に150m程行ったT字路を左折、南に50m進み地蔵堂の前で右折する。西50m先で道は直角に左に折れ、その折れから80m程行った最奥部が西円寺である。
                     

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